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2009年7月16日 / misotukuri

映画「フィクサー」-女も男も悪い奴は悪い

 たった今、映画「フィクサー」(07年米、トニー・ギルロイ監督、ジョージ・クルーニー、ティルダ・スウィントン他)をWOWOWで見たところだ。
 この映画はね、いろいろな要素があるけど、女も権力を握ると男と同じように悪いことをするというのを描いたんだと思うね。
 男だとか女だとか言うのは関係ないのだ。
 主役の名前が、マイケル・クレイトン(ジョージ・クルーニー)というから笑ったよ。
 去年の今頃死んだ、マイクル・クライトンとつづりが似ている。
 マイクル・クライトンの昔の小説に「ディスクロージャー」というのがあり、私もこの間読んだが、構図は似ているね。
 今読んでいる本の「日本溶解論 この国の若者たち」(三浦 展著)にもジェンダー・フリーと共に至るところで男女逆転の構図が見られると書かれてある。
 先日、郵便身障者割引制度悪用事件で、厚労省の美人女性局長が逮捕されたが、あれなども女性がそんな悪いことを主導してやるはずがないという”思い込み”があるからね。
 (2014.2.13訂正。この事件は冤罪だったとのこと。検察の威信が大いに低下したきっかけとなった。)
 しかし、歴史を紐解けば、美人だろうとブスだろうと年寄りだろうと若かろうとそんなこと関係なく、残虐極まりない犯罪を犯す女というのもいたというのも事実。
 だからというのでもないのだろうが、この「フィクサー」で問題になっているのは、男だとか女だとか社会的地位が高いとか低いとか、表稼業やってるとか裏稼業やってるとかということではない。
 マイケルが、頭が良くてしっかりした自分の息子に言うように、要は「心の強さ」の問題なのだ。
 身を持ち崩すのには、アル中だからとか、ヤク中だからとか、ギャンブル中だからとか様々な表面上の理由がある。
 しかし、やはり、本質的は、その人の「心の強さ」の問題なのだ。
 フィクサー(もみ消し屋)ばかりさせられ夢をすり減らした元やり手若手検事補の老後の生活の不安、薬害訴訟で悪党の製薬会社を弁護しなければならない顧問弁護士の倫理的葛藤。
 チャンスをモノにして成功の階段を駆け上がりたい有能な法務担当コンサルタントの女(ティルダ・スウィントン)の背伸び。
 みんなそんなことで、自分の心の弱さに負けて、どうにもならない羽目に陥って行く。
 最初に、交通事故を起こして、「もみ消してくれ」と頼む大金持ちにフィクサーが、「悪いことをしたら、正直にそれを認めなさい、嘘は通用しませんよ」と言う。
 そうだ、何でも他人のせいにするな。
 まあ、私も若い頃、虚言症で悩んだから、偉そうなことは言えないが・・・・・・。
 今?今は、そうだな、健忘症で悩んでる。

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