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2011年11月23日 / misotukuri

映画「ネバーランド」の失われた時を求めて

先日、映画「ネバーランド」(04年、米・英、マーク・フォースター監督、ジョニー・デップ、フレディ・ハイモア、ケイト・ウィンスレット、ジュリー・クリスティ、ラダ・ミッチェル、ダスティン・ホフマン、ケリー・マクドナルド他)を見た。

ジョニー・デップの押さえた演技、ケイト・ウィンスレットの美しさに感心していると、おばあさん役の実にきれいな女優がいるので、誰かなと思って見ていたら、後でキャストを見て驚いた。

何とジュリー・クリスティだった!

「ダーリング」、「ドクトル・ジバゴ」、「華氏451」、「遙か群衆を離れて」等々、若い頃よく見たなあ。

あと彼女の主演映画で2006年の「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」は、機会があればぜひ見てみたい。

おばあさんにしては、ちょっと美人過ぎるのではと思ったが、直ぐに美女の母親もやっぱり美女だわな、と配役を納得した。

映画の内容は、「ピーターパン」の原作者である劇作家ジェームス・マシュー・バリーがピーターパンのモデルとなった少年の一家と出会って、「ピーターパン」を完成させるまでを描いた実話を基にした感涙のドラマ。

一種の伝記ものと言っていいが、関心もなかったせいか、全然、知らなかった逸話だった。

「ピーターパン」自体はそれこそ子供の頃、何度も読んだ本なので、そういう逸話も訳者あとがきで読んだかもしれないが、記憶にない。

だいたい、「ピーターパン」というのは、「いつまでたっても大人になれない少年の話」とネガティヴに捉えるか、あるいは、「大人になっても少年の夢を持ち続けていられる心の純粋な人の話」とポジティヴに捉えるか、どちらかしかないと思っていた。

しかし、この映画はそうじゃないんだね。

「大人なんかになりたくなかったのに、急に大人にならざるを得なかった元少年が、やはり、幼くして急に大人になろうとしている少年たちのために書いたエレジー」だという解釈なんだな。

少年の心を失った少年を癒すには、少年時代へのエレジーしかない。

原作者バリーが「ピーターパン」の著作権をロンドンのとある小児病院に寄付したのもなるほどと肯ける。

だが、それは、大人にとっても同じ事なのだ。

映画の中でも、初演の日に招待した孤児院の子供達が、劇が始まると直ぐに、劇に引き込まれ、くすくす笑ったり、驚いたりして、周囲の観客の紳士淑女達を自分たちの興奮の渦に巻き込んでいく様が活写されていたが、まさに、この「ピーターパン」は、大人になった老若男女にとっても、遙か昔に失った自らの少年少女時代からの呼び声なのだな。

これも一種の「失われた時を求めて」に違いあるまい。

実に、「ネバーランド」も、エデン、ユートピア、アルカディア、シャングリラ、桃源郷、イーハトーブなどと同じ失われた理想郷、失楽園だったのだ。

失楽園は、文学上の普遍的テーマに違いない。

だが、それにしても、アフリカなどで誘拐された少年たちが銃を持たされ少年兵として戦っている現代の現実 を思うと、彼らにも「ピーターパン」は受けるだろうかと不幸の落差のあまりの酷さに暗澹となる。

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