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2011年12月8日 / misotukuri

暴力団排除条例の狼と羊と牧羊犬のたとえ話

11月の「朝まで生テレビ」でも取り上げられたが、「暴力団排除条例」というのは、面白いね。

狼と羊と牧羊犬のたとえで言えば、狼も牧羊犬も賢くなったのに、いつまでたってもお馬鹿で情けない羊たちという状況が浮かび上がってくる。

一番賢いのは、もちろん、牧場主なのだが。

この条例に対して、元狼と狼予備軍連中が、こういうのを許すとこんな風に困ったことになるとか、あれこれ泣き言を言っているのが、矛盾だらけで、笑える。

だけど、羊たちも黙っている所を見ると、怖さではやはり狼の方が怖いようだ。

日本では、野生の狼は絶滅したこともあり、人間社会を羊牧場にたとえるのは、ピンとこないかもしれないが、羊民民主大学社会学部とか文学部のノリでは、暴力団というのはせいぜい必要悪としか言いようがない。

説得力0の説明。

必要悪とは、悪いものだけど、無くしてしまったら、かえっていろいろと困ったことになるということ。

それは、つきつめれば、羊にも自身に内在している悪というものの存在を許容するか否かの問題ではあるのだが、自由だが危険で自己責任の世界より、ある程度の自由しかないが安全で安心できる世界を求める気持ちが強い一般羊民の性質からすれば、もともとそういう想像力は持ち合わせていないのだ。

そして、そういう豊かな想像力をもってした想像が、果たして現実のものになるかどうかも、実は不明だ。

近代化された羊牧場では、外部の狼たちは完全に駆除され、牧場主、牧羊犬たち、羊たちだけで完全に閉鎖された平和で安心安全な社会が形成されている。

私は、ニュージーランドで初めて羊牧場なるものを見て、羊、および羊でもって象徴される全てのものに深い軽蔑と嫌悪感を抱いたものだが、一方、羊たちにはそれで十分なのだろうとも思った。

この「暴力団排除条例」というのは、日本の社会を近代的羊牧場に変えていこうとする条例だ。

そこでは、狼は駆除されて存在していないから、羊たちは安全で安心して草を食べていられるが、牧羊犬は牧場主の意を受けて羊たちを追い立てるだけの存在となる。

また、羊たちにしてみれば、マトンやラムにされるのは、まだまだ遠い先のことだ。

困ることなど、どこにあるのか?

牡の羊の平均寿命は2年くらいと聞いたが、従順な牝の羊たちには関係ない。

だいたい、世の中の牝が創る文化なんてのは、すべからくその程度のものだと心得るべしだ。

何?言ってることが、分からない?

分からなくて、いいんだよ。羊さんたちには。

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