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2011年12月9日 / misotukuri

映画「イップ・マン~序章」の反日度

先日、反日映画で有名(?)な「イップ・マン~序章」(08年、香港、ウィルソン・イップ監督、ドニー・イェン、サイモン・ヤム、池内博之、リン・ホン、ゴードン・ラム、渋谷天馬他)をWOWOWで見た。

見終わった感想は、反日映画のわりには良くできていると思った。

ただ、見ていても感じたが、嘘とすぐわかるところが幾つもあり、多分、それは今の共産党支配の中国政府当局におもねっているんだろうな、と思った。

もちろん、武勇伝につきものの誇張や都合のいい変更は、お話としてやむをえないことで、そのあたりに関しては何も言うことはない。

だから、カンフー映画としては、傑出した作品と思う。

しかし、たとえば、市街地で中国の民間人を射殺するシーンがあるが、日本向けに大幅カットしてあるのかもしれないが、これくらいでは現代では日本軍の残虐性を世界にアピールできなくなったのではないだろうか。

ベトナム、イラク、アフガニスタンなどでの対ゲリラ戦、対テロ戦争の経験の後では、先進国の人間もよく分かっただろうと思うが、 軍服を着た者同士が戦う戦争なんて、欧米の歴史でも一時期のことなのだ。

しかも、映画の中でも、日本軍が民間人を殺しまくって占領した後の市街地で市民達は抵抗したりせず生活をしている。

じゃあ、あの殺されていた民間人は何者だったのか?ということになる。

このように説得力がないから、手っ取り早く、占領地でちょっといい女と見れば強姦してやろうとする日本兵(映画ではNo.2の将校だったが)の姿を描く。

これまた、武勇伝とか任侠映画にはつきもののシーンだから、お話としては許せるが、まあ、占領軍としては危険きわまりない話で、ちょっとありそうにない。

イラクやアフガニスタンで米兵がそんなことしないのは、彼らの倫理観が格別高いからではない。

そういうことを起こさないよう、シベリア出兵のときの教訓から、いわゆる従軍慰安婦(そういう名称ではないが)を連れて行き、兵士の慰安やら性の管理をすることになったという背景を知るべきだ。

じゃあ、全くなかったのかと言えば、そんなことはなくて、戦争にはつきものの残虐行為であり、当然、あっただろう。

しかし、これはようするにフィクションにすぎない。

戦争映画と実際の戦争は違う。

また、映画の佐藤(渋谷天馬)というNo.2の将校は、どこの世界にもおりそうな卑劣漢だが、いくらなんでも、司令官の目の前で司令官の命令もないのに勝手に自分の判断で民間人を射殺したりはしないだろう。

これは日本の組織では、絶対にあり得ない。

三浦(池内博之)司令官は、空手の達人で、占領地の広東省仏山市が中国武術の町と聞き、自らの腕試しと中国武術を習いたいという気持ちから、詠春拳の達人葉問(イップ・マン)と自ら闘うことになるのだが、これもあり得ない。

もっとも、組織の長としてはありえないが、武人としては荒々しいのは仕方がないにしても一応立派に描かれている。

その点だけは、この反日映画の中では、唯一の救いと言えるだろう。

さらにあり得ないと言えば、中国映画で見る日本軍の行進は、どの映画を見てもそうだが、勝っているときでもまるで敗残兵か愚連隊のようで、一目で中国人のエキストラだなと分かってしまう。

とはいうものの、この映画、反日映画の体裁を取っているが、それは反日でなければ、今の香港では撮れないからだろう。

たとえば、映画のラストで、主人公一家は日本軍の弾圧から逃れるために香港に脱出する事になっているが、これはおかしいと直ぐにぴんと来ないようでは、政治的センスを疑うね。

香港に逃げてきた中国人は、皆、日本軍からではなく中国共産党から逃げてきたのだということは、香港人なら誰もが自ら体験し、知っている常識。

こういう歴史の曲解ねつ造を平気でするのが中国共産党。

だが、この映画の反日度は、まるで「こういう表現するしかないんです。わかってください」と言っているようで、それほどでもない。

日本軍がやったとなっていることは、中国共産党軍がやったことだと読み替えて見ればいいのだ。

翌日、「イップ・マン」(10年、香港、ウィルソン・イップ監督、ドニー・イェン、サモ・ハン・キンポー他)も見た。

これは、イップ・マンが家族と共に香港に逃れてきてから武術家として名声を得るまでの話。

ただし、今度は反日映画ではなく、愛国映画だ。

そして、愛国心を燃やす相手というか敵は、英国及び英国人。

結構、残酷でダーティに描かれている。またかよ、という感じだ。

この映画、ボクシングVS中国武術の対決が描かれているのが、ボクシング・ファンの私には、それだけでうれしい映画だ。

映画とは言え、ボクシングVS中国武術、果たして本当は、どちらが強い(優れている)のか、大いに興味深い。

ただ、ボクシングは、あくまでスポーツであるのに対し、武術は戦う(殺しの)技術。

この違いは、最初に細かくルールを決めていなかったことから、次第に露わになってくる。

私は、映画の中の試合が始まってまもなく、一般的に、スポーツと武術がスポーツとしての試合をした場合は、武術が不利だということに気がついた。

たとえば、いかにカンフーの達人でも、ボクサーの次々繰り出すパンチにかかると、数十発に一発は、どうしてもかわしきれず打たれてしまうシーンが出てくる。

これは、単に試合相手が大変強い敵であったことを示すために、わざと描いたものかもしれないが、多分事実もそうだろうと思う。

これは何故なのか?私なりに考えてみた。

それは多分、武術家は本能的に全てのパンチをよけようとするが、ボクサーはパンチに耐えようとするところからくる差だろう。

ボクサーは打たれることを恐れないが、武術家は恐れる。

だって、想定する相手がちがうもの。

ボクサーの場合は、相手もボクサーだが、武術家の場合は、相手が武器を持っている可能性を常に想定しているからね。

だが、殴ることに特化した技術であるボクシングに対しては、それが大きなハンデになるのだ。

映画としては、反日映画の「序章」の方がまだ良かった。

この映画は、言わば、「空手バカ一代」の中国版に成り下がっている。

ただし、イップ・マンは確かにカッコイイね。

私も中国服を着て、イップ・マンのように椅子に腰掛け、悠然と中国茶を飲んでみたい。

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