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2011年12月27日 / misotukuri

「創世の島」読書中-驚天動地の結末予想はどうなるか?

「創世の島」(バーナード・ベケット著)を読んでいる。

でき得れば、大晦日までに読み終えたい。

この作品は、2007年のエスター・グレン賞を受賞している。

エスター・グレン賞とは、ネットでコピペすると、「ジャーナリストで児童文学作家だったエスター・グレン(1881-1940)に敬意を表して設立されたもので、ニュージーランド人もしくはニュージーランド在住の作家による、すぐれた児童書もしくはYA作品が受賞対象となる」ようだ。

この「創世の島」は、まあ、YA(ヤングアダルト)SF小説だね。

まだ、第一時限を読んだ程度なので、何とも言えないが、アカデミーの入学試験で受験生アナックスが4時間に及ぶ口頭試問を受けているシーンが延々と続いている。

第一章と書かずに第一時限と書いたのは、そういう区切りになっているからだ。

ちなみに、次は、第一休憩があって、今、第二時限目を読んでいる。

多分、第四時限まで続いているのだろう。

最後の数頁が驚天動地の結末らしいが、そこまでなかなか辛抱が要りそうだ。

しかし、何となく、スレた読者である私には予想がつきそうな感じがする。

一丁、久々に迷探偵Jinchanぶりを発揮して、結末予想をしてみようか?

でもまあ、迷探偵Jinchanの桃色の脳細胞のIQの高さを見せびらかすだけに終わりそうなので、ここはグッと自制しておこう。

この小説の背景設定を紹介しておくと、表紙カバーの裏面のコピペだが、

<時は21世紀末。世界大戦と疫病により人類は死滅した。世界の片隅の島(ニュージーランドのことだろうと思う)大富豪プラトンが建設した共和国だけを残して。彼は会場に高い障壁を作り、外の世界からこの国を物理的に隔離することで、疫病の脅威から逃れたのだ。・・・略・・・>

とある。

ニュージーランドは、入国に当たって異常に厳しい持ち込み制限をしているが、この小説にもそういうニュージーランド人の強迫観念が濃厚に現れている。

例えば、この背景設定で言う「疫病」というのは、生物兵器によるものらしく、それに感染している恐れのある人間達が、ボート・ピープルとなってニュージーランドに逃れてくるのを水際で例外なくレーザー砲で撃ち殺して撃退しているだ。

しかも、そのやり方がまことに異常そのもの。

ボートピープルを見つけた砲台の兵士が血も涙もなく殺戮しないと、後ろにいる同僚の兵士に射殺されることになっている上、彼らの行動もまた監視されているという、徹底ぶり。

この小説、ニュージーランド人の強迫観念に強く訴えるものがあったんだろうね。

たかがヤングアダルト・サイエンス・フィクションとは思えないリアリティがある。

結構、面白いよ。

でも、やっぱり、驚天動地の結末が気になるね。

<追伸2011.12.31>

昨夜、読了した。

で、驚天動地の結末だが、やっぱり、私のようなスレた読者はいけないね。

こういう結末に驚きを覚えるというのは、やはり、YAでなければ無理だろう。

私もYAだった頃、「猿の惑星」のラストには、イスから転げ落ちそうになるくらい驚いたよ。

重要なのは、そういう驚天動地の結末ではない。

アイデア短編小説的プロットの使い古されたテクニックの問題ではないのだ。

あくまで、語られている内容だと思う。

私は、この小説に描かれている未来社会というのは、これが現代のリベラルを標榜する文化人一般に共通する本音だろうと思うが、(共和国)にしても、その崩壊後を受けてより改良された体制にしても、こういうのは、いわゆるアリストクラシー(賢人政治)というべきものだ。

そういう賢人達にとっての理想的な社会を不安定ならしめる要因というのが、この小説にも書かれているが、下位の階級の人間の持つ被支配感覚とそれに反発する自由への渇望だ。

この小説では、そういう人間達に自分たちは最下級ではないという意識を持たせてやればうまく行くはずだとかいう思い上がった思想が述べられている。

アリストクラシーの難点というのは、そういう人間性に対する理解度の浅薄さというか、あたかもギリシャ彫刻のように、変動のない安定的平和、つまり静的安定を求めがちなところだ。

彼らには社会もまた生き物であるという視点、生命の動的安定性ということへの理解がない。

また、思考は外から来るものだと言うが、これはいわば思考実在論というか、ようするに唯心論だね。

そういう考えでは、我々の脳などという物は、単に思考を走らせる電子計算機のようなもので、自分が考えていることと思考そのものとは別物だということになる。

そして、思考=ミームと捉えている。(まさか、唯心論がミームと共に蘇るとは!)

その思考=ミーム(文化と心を形成する情報のこと)をウィルスみたいに述べているが、ウィルスは感染者の意志にかかわらず感染するが、ミームは継承者の意志に無関係にコピーされるとは必ずしも言えない。

(なお、私は、この場合の自由意志とは、思考に内在するパターンの一つと理解した。)

ただ、思考実在論では、脳の先住者である静的安定性を求める思考が侵入者である動的安定性を求める思考をウィルス視し、駆逐しようとするのは当然と思われる。

この動的安定性を求める思考というのは、進化への意志と言ってもいいと思うが、この小説の立ち位置は不明だ。

何となく、もっと掘り下げて、「アルジャーノンに花束を」みたいに長編化したら良さそうなテーマの作品だった。

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