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2012年1月20日 / misotukuri

処罰を求める感情の強さをどうする?

JR福知山線脱線事故でJR西日本の前社長が業務上過失致死傷の罪に問われた事件で神戸地裁は先日無罪の判決を下した。

この裁判のポイントは、私に言わせれば次の2点に尽きると思う。

1 JR西日本という組織を罰する法律がないので、事故のあった急カーブを設置した当時の社長個人に事故の予見可能性という観点から刑事責任を追及したこと。

2 事故の直接の原因はあくまで電車を運転していた運転士がスピードを出しすぎたことにあるが、その運転士は既に死んでおり、彼がスピードを出しすぎたことについては、日勤教育という厳しすぎる会社の指導が背景にあったことなどが間接的原因と言えること。

検察は控訴を断念する方向で進んでいるようだが、法律的議論ではそもそも無理筋のことだったのだろう。

ここでは、だから、法律的議論をするつもりはない。

問題は、遺族や被害者の処罰を求める感情の強さだ。

だが、誰でもつるし上げればいいというものではないだろう。

処罰されるべきはスピードを出しすぎた運転士であって、他の誰でもない。

そして、彼もまたその時の事故で死んでいる。

殺傷犯人が犯行現場で自殺したら、犯人の所属する会社の社長や厳しい親や学校の意地悪な先生を処罰するのか?

関係ないだろ。

運転士のスピードの出し過ぎは、社長の指導が悪いからだと決めつけるのは、単純すぎる。

彼は一人前の運転士になりたくて必死に努力したが、若干適性に欠けるところがあって、ミスをよく犯し、当時は、これ以上ミスしたら運転士をクビになる一歩手前だった。

電車の運転士などを運ちゃんとか言って馬鹿にする人がいるが、電車にせよバスにせよジェット旅客機にせよ、お客を乗せて運転するというのは、大変なことだ。

お客という大勢の命を預かっているのだから、少しでも適性に欠けるところがみつかれば、自分の希望がどうであれ、それは断念して貰わないと困る。

てんかん病歴を隠していた運転手が発作を起こして幼児を沢山跳ね殺してしまった事件があったが、同じことじゃないか。

ナショジオで航空機事故の原因を究明する番組があるが、ああいうのを見ていても、罰すべき奴は誰だ?というような観点では、とうてい犯人を見つけられない。

数年間に何度も同種の事故を起こした末、ようやく、パイロットの操縦ミスではなかったことがわかったというものが多く、日本ならその間遺族やマスコミなどからリンチを催促する怒号が運行会社社長らに向けられてヒドイだろうなと思ってしまう。

今夜見たのは、ボーイング737の昇降蛇や方向蛇などのパワーステアリング装置が、一定条件下で異常動作をすることが原因で起きた事故だったが、これなど、軍用機並の過酷な検査をしなければ発見できないものだ。

日本ならさしずめ誰に業務上過失責任を問うのだろうか?

予測可能性などという理論では、誰にも刑事責任は問えない。

そもそも、こういう大事故で刑事責任を問うというのは、ほとんど無理なことだと思う。

無益な裁判で時間を浪費するより、民事だけでいいのでは。

これから、原発事故の刑事裁判も増えてくるだろうが、同じことで無意味だ。

誰か責任がありそうな人を罰することよりも、今後、同種の事故を起こさないようにすることが、なにより大事なのだ。

処罰感情はわからないでもないが、そもそも事故に遭う可能性というのは、誰しも常にあることを納得して、金を受け取り、あきらめるしかないのではないだろうか。

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