Skip to content
2012年1月24日 / misotukuri

「陸軍士官学校の死」を読む2-10年に一つの大傑作-

昨夜遅く「陸軍士官学校の死」(ルイス・ベイヤード著)を読了した。

2012年最初の読了ミステリだが、これは10年に一つあるかないかの大傑作だね。

エドガー・アラン・ポーは探偵小説の父とも言われる作家で、世の多くのミステリ・ファンが思春期の頃に彼の小説や詩を読んで虜になったことと思う。

私は、小学生の頃に、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物やモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパン物のジュブナイルを読んでいたが、大人向けに書かれた探偵小説を読んだのは中学生になってからで、ポーを知ったのは高校生になってからだった。

ポーの「アッシャー家の崩壊」など、最初は英語の夏休みの原書講読の宿題で読まされたのだが、直ぐに英文なんか放っぽりだして角川文庫を買ってきて読みふけったよ。

それからというもの、ファンが辿るお決まりのコースを私も辿り、ポーの小説や詩はほとんど読んだ。

ある程度、小説を読み込むと、今度はその作家の人生を知りたくなるものだが、私はそれまで本の後書きとか解説などに関心がなく、せいぜい作家の年譜を読むくらいだった。

どうせ、偉い人のよいしょ話ばかりだろうという観念があったのだ。

ところが、このポーの人生には、大いに興味が湧き、初めて作家の人生に関心を持って、読み始めたのだった。

だが、直ぐに、無意識の思い込みで、偉人の偉大な人生を期待していた私は、ガッカリさせられることになった。

しがない旅役者の子に生まれ、すぐ孤児となり、養父との軋轢から家出・・・生涯通しての貧窮、酒乱、大ボラ吹き、不幸と悲惨の連続の中、行路病者となって40歳で息絶えた・・・まあ、何という偉人とは似ても似つかぬ人生か。

その後、立派な人生あるいは幸せな人生と素晴らしい芸術作品とは必ずしも両立しないというか、むしろ逆のことが多いということが理解できるようになった。

ポーは1827年、18歳で養父ジョン・アランとの軋轢が高じて養家を出奔後、変名で陸軍に入り、特務曹長まで昇進した後、1830年2月ポーに愛情を注いでくれた養母フランシス・アランの死後、同7月、陸軍士官学校に入る。

その後、1831年2月にポーは、軍務怠慢と命令違反の理由で、士官学校から放逐処分を受ける。

この「陸軍士官学校の死」というのは、ちょうど、このわずか7ヶ月間のウエスト・ポイント陸軍士官学校在籍時に題材を取った探偵小説なのだが、グッド・アイデアというか、ファンなら誰しも一度はこの謎の期間にふふん?と興味を示したはずだ。

それにしても、この小説を読んで、変名でも軍隊に入れたこととか、士官学校に入学できる資格の問題とか、十代の時には何とも思わなかったことに改めて気がつかされた。

当時の士官学校入学資格については、いつか見たジョン・フォードの西部劇の台詞の中にあったことだが、確か、士官の子弟の他に下士官の曹長の子弟も何か条件付きで可能だったような記憶がある。

ポーの時代は、まだ南北戦争(1861年ー1865年)が起きる30年前の話なのだが、ポーの祖父は独立戦争時の将軍だったというのはこの小説で初めて知った。

これが事実で、作者のフィクションでなかったとしたら、ポーがすんなり陸軍士官学校に入れたのも不思議ではないことになる。

最後に、普通、小説のことをそっちのけで色々と別のことを話すのは、その小説が大したことない証拠なのだが、これは違うということを申し添えたい。

この小説の場合は、単なる謎解きにとどまらない面白さがあるということだ。

なお、一昨日述べた予感が当たったが、スゴイね、これは完全に映画化されることを意識している。

私も、これが映画になったのをぜひ見てみたい。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。