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2012年1月25日 / misotukuri

C叔父さんの葬式

今日はC叔父さんのお葬式に出席した。

昨夜はお通夜でウン十年ぶりに従兄弟(従姉妹)達と顔を合わせたが、しばし、どこのどなたさんですか状態で、名乗ってびっくり、互いの原形をとどめぬ変貌ぶりに、死んだ叔父さんそっちのけで、あきれかえって大笑いする始末。

この分では、町中ですれ違っても、互いに誰か気がつかないだろう。

私も坊主をしている従兄から「○○ちゃんも年相応の顔になってきたな」と言われ、思わず眉毛の白髪をなでつけた。

だが、それって、どういう意味かな?

昔ながらのお通夜というのは、本来、ワイワイ騒いで、故人がまだそこにいるかのように振る舞うものらしいが、その場では、親を亡くした悲しみは従姉妹たちを見ても、さほど感じられなかった。

もっとも、そういうのは、叔父さんの思い出話をしたときとか、それぞれが一人になったときにあふれ出てくるものだろうと思うが。

C叔父さんには、昔、私が交通事故で加害者になったとき、大変お世話になった。

何度か一緒に被害者宅へ出向いてくれて、示談交渉をしてくれたが、うまく行かなかった。

私のイメージの中では、C叔父さんは、いつも笑顔で遊び好きで、奥さんの悪口を言っても他人の悪口は言ったことがないような人当たりのいい人だった。

そんな人が、「○○ちゃん、済まんなあ、うまいこと行かんで。あの人は、めんどいぞ(難しいぞ)」と言って、ギブ・アップした。

このとき私は、深い絶望感を覚えながらも、人の世の複雑さに、ちょっとだが、感動していた。

それから程なくして、事態が急展開し、職場の上司の世話により、示談自体は事故から半年以上たってようやく成立したのだが、問題の根本的な解決にはさらに1年半近い時間がかかった。

そして、最後はやっぱり、自分のトラブルは自分で決着をつけるしかないということを学んだ。

それというのも、私にとっての切り札だったC叔父さんの失敗がきっかけになったからと思っている。

その意味で、C叔父さんは私の恩人だと言える。

だが、そのことがあって以来、C叔父さんとは、会ってもあまり話をしなくなったのも事実だ。

去年の春、C叔父さんの家の裏山が全山満開のケイオウザクラでピンク色に染まっていたので、写真を撮らせてもらいに行ったとき、会って話したのが最後になった。

ちょうどあのとき、退院して、自宅でリハビリしていたのだが、喘息のような咳込みがひどくて、気の毒で見ていられず、早々に失礼した。

そして、発病以来、1年4ヶ月の闘病空しく、この日曜日の朝、9時39分に永眠した。享年84歳。合掌。

「ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思わざりしを」(在原業平)

C叔父さんは、小雪舞う今日の午後の寒空に形もなさぬ煙となって旅立って行った。

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