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2012年2月15日 / misotukuri

「原発危機と『東大話法』」を読むーだから戦争に負けるんだ

「原発危機と『東大話法』-傍観者の論理・欺瞞の言語」(東京大学教授 安冨歩著)を読んでいる。

まだ2/3程度読んだところだが、なかなか手強い本だ。

安易に著者にすり寄ろうとする者を手厳しく拒絶するところがある。

第一章「事実からの逃走」では、どうして優秀な人たちが「事実」に目をつぶり誤ったことをしでかしてしまうのかということへの問題提起をしている。

こういう種類のことに遭遇するたび、私は「だから、日本は戦争に負けるんだ」と言う。

たいていの人は、私の言っていることが唐突に聞こえて分からないようなので、重ねて、「誤魔化さないで、現実を直視しろ」と言う。

すると、相手から決まって返ってくるのが、「それでは、保たないでしょう」というセリフ。

あまりに官僚的な官僚的な。

そして、それ以上は自説を頑固に主張せず、対外的には公式見解で押し通すのが、私も含め、あらゆる日本の組織人の通弊。

福島原発事故での政府対応で、同様のことが行われたのは、国民の間にパニックが起きると困るからというもっともらしい理由だが、その実、「事実」から関係者全員で逃走してしまった。

そして、「保身」と「隠蔽」。

だから、「日本は戦争に負けるんだ」。

ボクシングでも囲碁でも同じだが、戦いでは現実(事実)から目を背けた方が負ける。

敵さんはこっちの都合の良いようには決して来てくれないからね。

勝手読みはダメなんだよ。

だが、自然は人間と違って、罠やフェイントなどを仕掛けないから、自然との戦いで敗れたのは、単に、敗れた人間が現実(事実)をしっかりと見ていなかったからに尽きる。

東北大地震・福島原発事故では、またしても「想定外」という言葉が踊ったが、ホント「想定外」もいい加減にしろだが、実のところは、「想定外」にしておこうということだった。

だが、原発事故などというものは、本質的には、「組み合わせ爆発」で、いくら想定しても想定しきれないもののひとつであったことも「事実」だろう。

そういう無限にあるような形態の事故を、仮に、全て「想定」したマニュアルがあったとしても、今度はその「想定項目」の検索に無限に時間がかかる可能性がある。

そういう時のために、幾重にも施された安全装置たるフェイルセーフ設計がなされるが、それとて万能ではない。

ただし、そもそも原子力のように人類には制御不可能なものを発電などに大々的に使うのが間違っているというのは、短絡的だろう。

何が起きているのか、人間の知覚では原理的に把握しきれないものがあるとしても、それは必ず翻訳可能と考えるべきだ。

そういうある意味根拠のない信念がなければ、科学技術の発達はない。

人間の聴覚では聞こえない音による交信も、波形という形で見て解読することが出来るようなものだ。

「A-10奪還チーム出動せよ」(スティーヴン・L・トンプスン)だったかな?

舌の味蕾で敵機の空間位置を認識するシステムとか、面白いのがあったなあ。

著者の「東大話法」批判に異議はないが、日本の今の経済学は、その前提である「稀少性」と「最適化」が両立し得ない矛盾を無視して語られているというのは、論証に飛躍があるような気がする。

科学こそ最高善と信じていた私は、大学の法律学の講義で「法律学は科学でない」と教わり、法律学を学ぶ意欲を大いに削がれて、結局、根本のところがよく分からないまま卒業してしまった。

それで、「専攻は?」と聞かれても、「ホウかな?という法科です」と答えることにしている。

しかし、あれだね、経済学者は、経済学のことを科学と思っているんだね。

そいつは、知らなかったな。

会計学は、私も必要に迫られて、勉強したことがあるが、はっきりと架空の学問的前提を指し示した上で体系が構築されている。

たとえば、ゴーイング・コンサーン(継続企業)だ。

現在、設立後10年も経ってまだ倒産していない会社がどれくらいあるのかよく知らないが、永遠に倒産しないで発展し続けることを前提とするなんて架空もいいとこだ。

しかし、そう仮定することによって、期間利益の計算が可能になり、どの会社に投資すべきかも分かるようになる。

学問の前提とは、その利用目的のためにあり、架空であろうと矛盾していようと引き出せる答えが目的に合致しておれば一向に差し支えないのでは?

会計学には、経済学や法律学ほどの奥の深さはないので、常に蔑視されているが、少なくとも、ご立派なことを言わないだけ、潔さがある。

それにしても、「東大話法」の空しさに、みんなが早く気づくといいね。

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