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2012年2月19日 / misotukuri

芥川賞「共喰い」読了

話題の第146回芥川賞受賞作「共喰い」(田中慎弥著)読了した。

一箇所だけ文体に乱れがあるが、それ以外は方言はともかく、短く平易な文章で17歳の少年の内面が語られていく。

問題を抱えた家庭の話で、わかりやすいだけに、正直、へえ、これで芥川賞?と思う。

もう一つの受賞作「道化師の蝶」(円城 塔著)は、その点、読みにくい。

読みにくい上に、何を書いているのか、さっぱり分からない。

さっぱりわからなくても、面白い小説はあるが、これは面白くない。

とりあえず、「道化師の蝶」は後回しだ。

「共喰い」の主人公は、17歳と若いけれど、自分が何をしたいのか、よく分かっているね。

そして、むしろ、それを衝動のままに、しでかしてしまうことを恐れ、悩んでいる。

その衝動の正体は、尊敬できない父からの遺伝によるものだと、思っている。

女性と違って、男性というものは、「快・不快原則」だけでは行動しない。

もちろん、男性も、本当にしたいことをすること=快で、本当はしたくないことをしなければならないこと=不快なのには違いないのだが、社会との関わりにおいて、「快・不快原則」だけでは生きていけないことを教えられるからだ。

本当にしたいことが、非倫理的で、不道徳で、反社会的で、法律違反だったらどうなのか、考えるまでもない。

主人公は、そのことに気づいているからこそ、その葛藤に悩むのだ。

頭が悪けりゃ、親父とそれこそ一緒になってる。

大昔、私がまだ19歳の頃のことだった。

ある日の基礎体育の授業で、体育教師が、「自分が何をしたいのか、わかっていない人がいる」と嘲笑的な口ぶりで言った。

アホな奴と密かに馬鹿にしていた相手だったので、この言葉には大きなショックを受けた。

当時、私は、自分が本当は何をしたいのか、よく分からず、悩んでいたのだ。

犬や猫でも今自分が何をしようとしているか、はっきりわかっているのに、君たちは何だ?

いったい、何がしたいんだ?

自分がやりたいことをやれよ。やればいいんだ。よけいなことは考えずに!

・・・というわけだ。

ある意味、そのとおりかもしれん。

それで、そうかあ、オレは犬やネコにも劣る、アホだったのか!

・・・とは、思わなかった。

犬やネコ、そして、お前みたいな単細胞の人種と違って、オレらはもう少し複雑だからな。

・・・と、反発したものだ。

ただし、明快に自己分析できていないという点で、ショックではあった。

だが、私たちの時代の、まだ未成年の19歳で、自分が本当は何をしたいのかよく分かっている人というのは、やっぱり、数少なかったのではないかと思う。

野坂昭如の「マリリン・モンロー・ノーリターン」じゃないが、「みんな、悩んでおおきくなったあ」だよ。

http://www.youtube.com/watch?v=d4HiKH9dzIo

いや、「黒の舟歌」か?(長谷川きよしの唄でどうだ!)

http://www.youtube.com/watch?v=0aJmdG4bQeA

違うな。いやいや、「ソクラテスの唄」だった。これだ!

http://www.youtube.com/watch?v=hAJz3U3p9vY&feature=related

まあ、この「共喰い」は、少年が大人になっていく過程で、誰もが通る「快・不快原則」を捨てなければいけなくなる時期のことを描いているのだと、考えられる。

ただ、それだけだろ。

既に女でなくなっている母親は、まるで男性のように「処罰する者」として、「快・不快原則」のままに行動している少年の父に立ち向かい、女を復権させた後は、社会的規範の象徴である鳥居をくぐらないことを示すことによって、「快・不快原則」に従う衝動を克服するよう身をもって少年に教訓を垂れたのだ。

以上、図式的理解過ぎるかも知れないが・・・

20万部完売おめでとう。

少年の住んでいる生活環境がどうたらこうたら、親父の悪い血が騒ぐのがどうたらこうたら、そんなものは、かんけーないんだよ。

汚いものをしつこく描いたら文学になるってものでもない。

それだけ?それで芥川賞?

純文学グッド・バイかな?

いやいや、まだまだ、「道化師の蝶」がある。

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