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2012年2月25日 / misotukuri

「謝罪代行社」読了-名探偵不在のリアリティ

「謝罪代行社」(ゾラン・トヴェンカー著)読了した。

またまた、今年読んだ本のベスト3候補だな、これは。

ブックカバーの内容紹介をちょっとしておくと、

「失業した仲良し4人組の若い男女は、依頼人に代わって謝罪する仕事を始めた。ある日、彼らの一人が指定の場所に行くと、壁に磔にされた女性の死体が!依頼人は死体に謝罪して録音して送ることと、死体の始末を求めた。家族の身を案じた彼らはその要求に屈する。やがて、更に不可解な事件が起き、彼らを悲劇が襲う。」

といった感じだ。

友人のIさんの言によれば、昨今、英米ものの翻訳権が高止まりしているらしく、「ミレニアム」などのヒットもあって、スウェーデンやドイツなど、これまであまり馴染みがなかったところの翻訳が多くなっているとか。

この本も、斬新なアイデア、度肝を抜く構成、ぐいぐい引っ張っていく筆力等々、英米ものに負けないレベルだが、どこか一味も二味も違っていて面白い。

ただ、これは、ミステリと言えるのだろうか?

以前にご紹介した、私が自分でこうだと思っている、ミステリの「フーダニット三原則」を思い出していただこう。

<フーダニット三原則>

1, 犯人は、必ず登場人物の中にいる

2, 犯人は、最も怪しくない人物であることが多い。

3, 犯人は、犯行自体に動機を持っている。

以前に、「ミレニアム1ードラゴン・タトゥーの女」(」スティーグ・ラーソン)を貶した時、1と3はともかく、2を問題にした。

最も怪しい人物がやっぱり犯人だったというのでは、ミステリではないと思うからだ。

そういうのは、ミステリじゃなくて、犯罪ルポ小説。

結構楽しんだ「ミレニアム」三部作だったが、今でもあれはやっぱりミステリじゃなくて、犯罪小説だと思うね。

だが、この「謝罪代行社」は、上記、<フーダニット三原則>は、全て当てはまるが、伏せられていないので問題にならない。

最初は、4人の内の誰かが実は犯人では?とか思いながら、アリバイを考えつつ読んでいたが、あっさりと別の登場人物とわかり、あまりの開けっぴろげぶりに、えええっ?となった。

これは、ミステリの形式に当てはまらないミステリだね。

1,犯人は、登場人物の中にいるし、最も怪しくない人物だし、犯行の動機も途中で伏せられることなく語られるので、読者には分かっている。

ようするに、読者には犯人は分かっているが、登場人物には被害者を含めて、皆それぞれ部分的にしか分かっていない。

これは極めてリアリティがあるね。

よく考えてみれば、現実の犯罪でも、全てを分かっているのは誰一人いないのだ。

ミステリは、最後に名探偵が、可能な限り登場人物を集めて、大団円で全ての謎を解明してくれる。

ところが、この小説では、そういう名探偵は最後まで不在なのだ。

登場人物は最後まで部分的にしか事件のことを知らない。

考えてみれば、それが普通だよね。

登場人物より、読者の方が事件の全貌を知っているのが当たり前だ!

何という、コロンブスの卵。

こういうミステリも成り立ち得るんだね。素晴らしい。

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