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2012年3月28日 / misotukuri

「目くらましの道」読了

Iさんに紹介してもらったクルト・ヴァランダー・シリーズの第五弾「目くらましの道」(ヘニング・マンケル著)読了した。

2001年CWAゴールドダガー賞(英国推理作家協会最優秀長編作品賞)受賞作だ。

思っていた以上に、面白かったが、幾つか難点も目に付いた。

一つは、たぶん、ルール違反でないと思うので書くが、クルト・ヴァランダーという主人公は、警部で事件の捜査主任なのに、チームの指揮をほとんど執らず、まるで平の刑事みたいに自分が直接捜査していることだ。

こういうのは警察小説としては、ちょっとおかしいね。

これまで私が警察(警官)小説にあまり興味を持てなかったのは、結局、現実の捜査というのが、こういう個人プレーがないところにあるからなのだ。

何事にも、個人プレーが好きなものでね。

だが、小説でも警察(警官)小説はおとぎ話じゃないのだから、チームプレーを描くのがリアルというものだ。

私立探偵や一匹狼タイプの刑事が主人公なら、当然、個人プレーで捜査が進んで行くのだろうが。

警部が単独行動で事件を解決していくなんてのは、「警部マクロード」くらいのものだろう。

そのマクロードにしても、実際は、ニューメキシコ州タオスの保安官補であり、NY市警には研修で来ているだけで、実際のところ日本での題名と違って警部ではない。

まあ、そういう細かいところは気になるのだが、ミステリでスウェーデンの現代社会を読み取ろうとする者には、なかなか面白い小説だ。

そして、そういう意図が作者にもあるらしい。

純粋にミステリとして読めば、やはり、この本の題名にもなっていて、小説の中にも捜査を誤った方向に導くのを戒めるために複数の刑事により何度も口にされている「目くらましの道」という言葉が、一つの鍵になっていると思う。

小説技法的に言えば、犯人側からみた描写は一切必要ないのではないかと思う。

そうしないと、読者は早々と誰が犯人か知らされているので、フーダニット(誰が殺したのか?)的興味は、捨てざるを得なくなる。

私など、邪推しすぎて、犯人のどんでん返しがあるのかな?と思いながら読んでいたくらいだ。

ようするに名刑事クルト・ヴァランダーには、犯人と初めて会った瞬間、無意識下ではこいつが犯人だと分かっていた。

分かっていたが、そいつが犯人だとは認めたくなかった。

犯人は自分から「目くらまし」を仕掛けているわけでもないのに、刑事が自ら自分に「目くらまし」をかけてしまっていたのだ。

「Yの悲劇」でもそうだが、その人が犯人であって欲しくないという感情そのものが「目くらまし」なのだ。

読者にとっては、主人公の目を通して、主人公の心に感情移入して、作者の仕掛けた「目くらまし」に見事引っかけられることこそが、ミステリを読むことの楽しみだと思う。

これではクルト・ヴァランダーさんっていい人なのねと思ってくださいと、作者に押しつけられているような感じがする。

だから、犯人側からの描写は必要ないと思うのだ。

それでも、クルト・ヴァランダー・シリーズ、また読んでみようと思わせる魅力がある。

次は、シリーズ・第一作かな?

 

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