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2012年4月11日 / misotukuri

雨の日には花見はあきらめてミステリを読もう

今日はほぼ一日雨ということで、朝の内はスーパードラマTVで録画してあった「フリンジ2」と「キリング」を見た。

昼からはもっぱら読書。

そろそろ返却期限が迫っている「薔薇は死を夢見る」(レジナルド・ヒル著)を読んだ。

ちょうど半分を少し過ぎたところか。(第三部第二章)

極めてゆっくりしたテンポでストーリーが進んで行くので、初めの内は少々退屈だったが、ヒルの文章を楽しみながら読んでいた。

その内、このミステリの狙いが分かり始めてきた。

その人の人生において、たとえどんな苦境にあっても、偶然が積み重なって必ず幸運が舞い込んでくるとしたら、どうだろうか?

そして、その偶然というのが誰かの死だったら・・・

そりゃあ、人間というのは誰でも必ず死ぬものだし、事故や病気や老衰で死んでも、その瞬間を目撃した者がいつもいつもいるとは限らないし、誰にも看取られずひっそり死ぬことだってあるわけだ。

だが、出来過ぎた偶然というか、いつもいつもそういう誰かの死で、同じ人物が得をし、苦境を脱することができたとしたら?

いや、何もおかしいことはないのだが、それがこうも積み重なると・・・いや、やはりそういうこともあり得ることだ、馬鹿馬鹿しい、何を考えているのか?と自問自答してしまうだろう。

特に、そのことに偶然気がついたのが警官だったとしたら?

そう、まさか、公式の捜査なんかはできないけど、個人的な”好奇心”で関心を持ちつづけるという態度に出るよな。

しかし、ちょっと、一般庶民というか、市井の人の側に立ってみれば、そういう関心を持ってじっと見ている人がいる、あるいは、自分が見られているというのは、あんまり気持ちのいいものではないよな。

名探偵というのは、ストーカーと紙一重だ。

名探偵の行くところに事件あり。

エルキュール・ポアロや金田一耕助がそこへ行くから事件が起きるというより、事件が発覚する。

あなたやうちのかみさんなんかがそこへ行っても、せいぜい「きれいなとこやわ」で終わってしまう。

さて、この小説のさして忙しそうでもないパスコー警部やダルジール警視にかかったら、この話はどう転ぶのだろうか?

迷探偵Jinchanのように関係性のないところに関係性を見いだし、妄想の上に妄想を重ね、また一つ大笑いの種を周囲にまき散らすのか、はたまた、意外な方向に事態が進展していき、収拾不能に陥っていくのか?

ENDマークが待ち遠しい。

夕方、ニコンのピックアップサービスの代行でクロネコヤマトが時間通りレンズを回収に来てくれた。

ネットで申し込むと送料は無料だし、梱包に必要なもの一式持ってきてくれるし、非常に便利だ。

ただし、修理賃は多分同じレンズを中古で買うくらいする。

いっそ、もう一つ中古で買おうかな?

 

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