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2012年5月3日 / misotukuri

今日は憲法記念日か

今日は、よく考えてみたら、憲法記念日だった。

だから、新聞に改憲賛成だの反対だの言う記事が出ていたのか。

ウン十年生きてきて、こんなにボケたのは初めてだ。

今夜は、ちょっと、まじめに行こか。

だけど、どうしてなのか?

去年の3.11以降、あれだけの原発事故を起こしておきながら、原子力発電についての明確な意思表示が出せない日本人及び日本国に対してもうちょっと冷めてしまった感じなのだ。

原発はノーなのか、原発と折り合いをつけていくのか?

原発ノーなら、東電は倒産させて、会社資産を売却し、補償金に充てるしかない。

当然、その過程で、送電網や発電設備等もまた誰かの所有となるから、発・送電の分離などすぐに出来てしまう。

国民の電気料金の負担も、東電が値上げしようとするから国民の側に反発があるわけで、新電力供給会社の発電コストに見合う値上げなら文句のつけようがないことだ。

また、これまで通り原発と折り合いをつけていくなら、今、政府や東電や他の全ての電力会社がやろうとしていることを受け入れるしかないことだ。

ところが、今の政府は総選挙しようとしないからね。

国民もまた総選挙を求めようともしない。

原発はイヤだが電気料金の値上げもイヤ。

いったい、あんたら、何をどうしたいんだ?と思うわけだ。

だが、そういうのは、原発だけにとどまらないのだ。

沖縄問題だって、同じこと。

米軍基地もイヤだが自衛隊もイヤ。

じゃあ、独立するのか?と言えば、そこまでの度胸もない。

いったい、あんたら、何をどうしたいんだ?と思うわけだ。

原発や沖縄だけではない。

つらつら考えてみるに、こういう何事も自分で決められないことの元凶は、やっぱり、憲法かなあ。

憲法の改正が自分で出来ない限り、この国民はダメだ。

憲法は最高法規であると言われるが、では、その憲法を改正する法律は憲法より上位に位置するのか、下位に位置するのか?

上位に位置するなら、国内法の中に例外を認めることになる。

下位に位置すると考えるなら、憲法を改正する法律は現行憲法の精神と反する改正は出来ないことになる。

私は、後者の説を習ったが、それならば、憲法第9条(戦争放棄)は現行憲法の精神の根幹であり、これを変えようとするならば、それは現行憲法の否定になるから、どうしても憲法第9条を変えたければ、もはや、新憲法制定しかない。

それは、体制の革命を意味するのだが、新憲法の制定は、現行憲法の制定の時と同じく、一つ古い憲法の改正手続きに則って(あるいは準じて)行われるべきだろう。

現行憲法が欠陥だらけで改正も必要なのはわかりきっている。

しかし、多くの国民は、直接、憲法でメシ食ってるわけじゃないからね。

日本人の過半数は、そういう面倒なことはしたくないのだ。

民主主義でこれからもやりたければ、自ら判断して、自ら決め、自ら行動し、その結果について、自ら責任を取らなければいけないのに、何事も政府にお任せしていて、いいとこ取りしかしたくないのだ。

そして、結果として、ババを引けば、被害者面する。

つくづく、そういう国民が多い国はダメだと思う。

だから、もう、あまり、関心がなくなってきたというか・・・

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