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2012年5月13日 / misotukuri

七つの大罪を考える

最近、「嫉妬」について考えることがあった。

自分のことではないが、さりとて、まるっきり他人事でもないので、具体的な話は避けるが、まあ、この感情は年齢に関係ないのだなと思った。

Wikipediaで見ると、「七つの大罪」の一つだが、「七つの大罪」というのは、元々は「八つの大罪」ともいうべきものであったらしく、なおかつ、その中には、「嫉妬」は含まれていなかったとある。

ちなみに、「八つの大罪」とは、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作に八つの「枢要罪」として現れたのが起源と言われており、厳しさの順序によると「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」となるようだ。

これが、6世紀後半には、グレゴリウス1世により、八つから現在の七つに改正され、順序も現在の順序に仕上げられるとともに、「虚飾」は「傲慢」に含まれ、「怠惰」と「憂鬱」は一つの大罪となり、「嫉妬」が追加された。

すなわち、「七つの大罪」とは、順に「傲慢」、「嫉妬」、「憤怒」、「怠惰」、「強欲」、「暴食」、「色欲」となる。

4世紀の頃には「嫉妬」は大罪でなかったとは驚きだが、それが200年後には、大罪にされるとともに、ランクも2位にまで位置づけられているというのは、どういうことだろうか?

その考察については、多分、誰か先人がやっていることと思うので割愛するが、順位の感覚も今日とはだいぶ違っているみたいだ。

そこで、現代版の「七つの大罪」を考えると、まず、少なくとも日本での場合、「傲慢」というのは消えるのではないだろうか?

多分、身分制度というものを知らない多くの人には、その意味が分からないのではないかと思う。

「傲慢」に吸収された「虚飾」も同じだ。

大衆消費文化全盛の下では、せいぜい、フェティシズムくらいにしか考えられないだろう。

「嫉妬」は、故に晴れて第一位の大罪の栄誉に浴する。

「嫉妬」こそは、大衆化の進んだ現代の人間に巣くう最大の宿痾(しゅくあ)ともいうべき罪だ。

「嫉妬」を克服できないまま、ゆがんだ憎悪をつのらせ、テロからネット犯罪、さらには、通り魔事件など、とんでもない犯罪を犯す事件が世界的に増えている。

これらは、「フリンジ」のZFTではなく、(「フリンジ」は面白いが、)動機などないように見えても、それぞれに隠された個人的理由があるものだが、彼らは加害者であると同時に大衆化という現象の中での被害者なのだ。

彼らは人生という舞台で加害者の役を割り振られた存在に過ぎない。

不幸にしてそういう役を充てられたなら、自由意志の名の下に、自ら降板を宣言し、現象の奴隷を離脱するしかない。

具体的な事例に遭遇すれば、一度行動を起こす前に立ち止まって、あなたは「自分が『嫉妬』するには理由があるのでは?」と考えてみればよい。

それが「嫉妬」の大罪を犯さないようにする一つの方法だろう。

次の「憤怒」は、消えるだろう。

ちょっとは怒れよ、と言いたくなるような軟弱が横行している現代日本だからね。

その代わり、名詞ではないが、「キレる」が入るかも。

「キレる」とは、相手が自分と共通のゲームをしていないと悟った時に生じる破壊衝動で、そう思いこむこと自体に問題があることに気づくべき大罪だ。

「怠惰」は、もともと、「憂鬱」と合わさったものだが、ウツ病の多い現代ではむしろ、「憂鬱」の方が大罪としてわかりやすいだろう。

しかし、これも原因と結果を取り違えているのであり、私はこれらの二つを統合して「忌避」としたい。

なぜなら、「怠惰」も「憂鬱」も、嫌なこと、不快なことはしたくないという「忌避」感情から生じているわけだからだ。

現代日本にウツ病が多いのは、好悪感情が行動原理となっている功利主義的人間が多いからだ。

「強欲」は、そのまま残るだろう。

何故、そこまで「強欲」を張らなければならないのだろうと思ってしまう種類の人々がいる。

義務感でやっていると言うには度が過ぎる。

例えば、金銭欲にしても、もし宝くじで前後賞合わせて3億円当たったら、・・・当たったら、何するのか?本当に。

私も考えたが、正直、あまりしたいことがないのだ。

多くの人は、記念にちょっとした物を買って、あとはとりあえず貯金しておくぐらいだろう。

だが、そんなことは、宝くじに当たらなくても、出来なくはないことで、大金を手にしたい理由にはならない。

普通の人には必要以上のお金は要らず、強欲と言えるほどの金銭欲は生じない。

それなのに、必要もない大金を手にしようと、宝くじを買うぐらいなら可愛いが、悪事に手を染めようとする人間が後を絶たない。

「暴食」というのも、「強欲」同様、度が過ぎることだが、残してもいいかも。

ネクロフィリアな病気であることは確かと思うが、病気が罪というのは、弱い人間に酷すぎる。

これも単に食べたいから食べ過ぎると言うのではなく、何か欲しいものがあって、それが得られないことの代償行為。

チョコレートを手放せず、いつ見ても、むさぼり食っている女性を見ると、哀れに思える。

「暴食」が罪なら、「拒食」も「喫煙」などの依存症も罪だろう。

私は、弱い人間を哀れには思うが、軽蔑はしない。

では、弱い人間を導くにはどうすればいいのか?

励ますことじゃないかな?

「色欲」は、削除だろう。

シュメールの神話では、限りある命の人間に造物主たる神がこう言っている。

「子供たちよ。命ある内、せいいっぱい愉しみなさい」と。

シュメールの神々も日本の神々もそうだが、非常に長命ではあっても、不死というのではなかった。

彼らも分かっていたのだ。

以上、「七つの大罪」も現代では「四つの大罪」になってしまった。

ちあきなおみの歌に「四つのお願い」というのがあったな。

http://www.youtube.com/watch?v=CBgIJzk5YtY

やっぱ、ええなあ。

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