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2012年5月25日 / misotukuri

「骨と沈黙」のフーダニット

「骨と沈黙」(レジナルド・ヒル著)ようやく読了した。

えらく長くかかってしまったが、分厚いのと、桜からバラへと続くお花見シーズンとダブってしまったからだ。

これは英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー受賞作にふさわしい見事な出来映えのミステリだ。

ただし、私のようなひねたミステリ・ファンには、自殺予告の黒婦人(ダーク・レディ)が誰かは、半ばほどで分かってしまったが・・・

自殺も殺人の一種であるから、私のミステリ・フーダニット(殺ったのは誰か)三原則が当てはまる。

このフーダニット三原則だが、次の通り。

1 犯人は登場人物の中にいる

2 一番怪しくない人物が犯人である場合が多い

3 犯罪そのものの特徴が犯人を指し示している

1,2は、はっきり明快なのだが、3は時に自分でも表現が微妙に違うので甚だ恐縮だ。

まあ、これを念頭に、読んで行けば、一通り登場人物が出そろう中盤辺りで、だいたい分かってくるだろう。

私は1の登場人物の内、2で自殺しそうにない人物を何人かリストアップして、3で自殺予告手紙の宛先にダルジール警視を選んだという行為に着目した。

ダルジールに関心を寄せている人物とは誰か?

そう、まさか、まさか、その人なのだ。

こういう、ミステリを技法的に読む読者って、自分で言うのも何だけど、つくづく、つまらないと思うね。

もっと愉しまなきゃあ。

だが、現代本格ミステリは、上記フーダニット三原則を乗り越えるものでなければ新鮮味がないと思うのだ。

以前に紹介した「謝罪代行社」(ゾラン・ドヴェンカー)はその一つだ。

それでも、時には、こうした「骨と沈黙」のような言わば古いタイプのミステリも息抜きとして楽しいと思う。

レジナルド・ヒルの小説は、1文章表現が巧み、2英文学の引用が多々ある、3シニカルな露悪趣味がある等の特徴があり、深みはないが軽くもなく、ほどよくできた匠の技という感じがする。

ただ、やはり、少し長いので、「薔薇は死を夢見る」を先に読むことをオススメする。

しかし、何だね、こういう教養がにじみ出るような作品を読むと、私もチクチク刺激されるね。

40歳になった時、これからはいつか読もうと思って読めなかった古典を読んでみようと決心した。

そして、「こういうのは十代の時に読んでおかなければいけなかったんだがな」などと独りごちながら読み始めていつしか年月が経ってしまった。

気がつけば、あれから結局読んだのは、「ギルガメシュ叙事詩」、「史記」(司馬遷)、くらいしかないではないか!

「法の精神」(モンテスキュー)は途中で投げ出したし、「万葉集」も拾い読みしたのみ。

「君主論」(マキアヴェリ)も確か君主国の分類から一歩も進まず・・・くそ、どれだけ無意味に時間のみ過ぎ去ったことか。

「フリンジ2」も追いついたことだし、積ん読本の整理をしなければ・・・

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