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2012年6月11日 / misotukuri

通り魔に情けは無用だ

以下は、読売新聞からのコピペ。

<大阪・ミナミの通り魔事件で、松井一郎大阪府知事は11日、現行犯逮捕された礒飛京三容疑者が「人を殺せば死刑になると思ってやった」と供述していることに対し、報道陣に「『死にたい』と言うんだったら自分で死ねよと(言いたい)。人を巻き込まずに自己完結してほしい」と発言した。 府は自殺予防対策を行う立場だが、松井知事は「(容疑者が必要とするなら)相談窓口に来ればいいし、『行政の支援は受けたくない、この世からいなくなりたい』と言うなら止めようがない」と述べた。(2012年6月11日11時24分  読売新聞)>

さっそく、問題発言視するムキもあるようだが、一体、これのどこが問題なのか?

自殺というのが社会的他殺であることは以前にもこのブログで言ったことだが、自殺するために他人を殺すのは単なる他殺で、れっきとした殺人だ。

しかも、通り魔殺人の場合は、加害者と被害者の間に直接的関係がなく、被害者は八つ当たりの物扱いされただけ。

被害者もまた生まれてからからこのかた人生の色々な経験も積み、一個の人格を形成してきた存在なのに、道に落ちている空き缶を蹴飛ばすようにブチ殺されたわけだ。

被害者の人権はどうなるのか?

通り魔の側にどんな思いがあったにせよ、当たる相手を間違えている。

大阪教育大付属池田小学校児童無差別殺傷事件の宅間守のように広い意味では間違えていなくても、別にあの子ども達でなくても良かったわけで、やはり物扱いしたことに変わりはない。

こういう通り魔的無差別殺人者に情けは無用だ。

死刑制度廃止論者も死刑制度の廃止を叫ぶより、こういう通り魔の前に立って犯行を思いとどまらせる努力をしてみたらどうか。

非常に危ないがね。

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