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2012年7月13日 / misotukuri

「緋色の記憶」の翼をください度

「緋色の記憶(原題:The Chatham School Affair」(トマス・H・クック著)読了した。

1997年のMWA賞最優秀長編賞受賞作だ。

この小説の評価が高いのは知っていた。

だが、これほど読み進みにくいとは。

全部で32章あり、毎日1章という日がしばらく続いた。

面白くないからではなく、読み飛ばすということが出来ない読者に緊張を強いる文章だからだ。

これはミステリとしてはともかく、文学として、一級品ではなかろうか。

翻訳というフィルターを通してでも、原文の巧みさが伝わってくる。

レジナルド・ヒルほど衒学的でなく、修辞的でもないが、より哲学的というか、深みがある。

この小説は、言わば、普通の自由に生きられない人間たちが自由に生きようとする人間を嫉妬や恐れから弾圧しようとする話ではないのかな?と読みながら最初の頃は思っていた。

だが、まあ、そんな解釈はこの小説の回想の中の少年の思い描きそうな人生の青い解釈だった。

最後の方に少年の敬愛する美しい美術教師が描いた堅物の校長先生であった父の肖像画を後年見直してみるくだりがある。

「ミス・チャニングは父ひとりを描いたのではなく、ある意味では彼女自身もふくめ、おそらくは人すべての姿として描いたのだと、そのとき気がついた。人はこんなふうに立ち往生し、ぶつかりあう愛にひとしく苦しめられながらも、情熱と退屈の間に、悦びと絶望のはざまに、夢見るだけの人生と耐え難い現実のあわいに、自分の居場所を見つけようとせいいっぱいあがいている。」

おそらくこれがこのミステリのネタバレ・ヒントとなろう。

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