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2012年7月28日 / misotukuri

「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」のイノセント

BS「寅金」か「金寅」かで、映画「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」(76年、山田洋次監督、渥美清、太地喜和子、宇野重吉他)を見た。

これは「男はつらいよ」シリーズの中でも出来がいい方だろう。

やはり、マドンナ役の太地喜和子とメイン・ゲストの宇野重吉が素晴らしい。

わたしのラバさんの桜井センリもいいなあ。

マドンナ役の太地喜和子(芸者ぼたん)の魅力というのは、映画とか舞台とかの動きのある中で見ないとわらないね。

日本画の重鎮役の宇野重吉の演技もさすがお見事。

寅さんに痛いところを突かれて困ったなという顔をするシーンは秀逸。

この映画、色々な見方が出来ると思うが、私はイノセンス(無垢)という視点から見てしまった。

寅さん映画論をするつもりはないので、詰めた議論は略すが、この映画では、寅次郎と芸者ぼたんと画家の池ノ内青観という三人がイノセントな存在である「聖」で、その他の人々はイノセンスをなくしてしまった「俗」なる存在だ。

一応、寅さんを支える「とらや」の人々は、タコ社長も含めて「聖家族」なわけで、そういう目で見ると、今回のドラマは寅さんは失恋したわけでもなく、そもそも発情的な恋愛をしたわけでもない。

自分と同類の臭いのするイノセントな者たちの受難を何とかして助けようとしただけだ。

芸者ぼたんは、男にだまされ金を奪われ、イノセンスを失って行く過程で寅次郎という大いなるイノセンスに出会う。

日本画の大家、青観もイノセントに生きてきたような人間だが、やはり寅さんに出会って、自分が成功と引き替えにイノセンスを失いつつあることを意識させられる。

このイノセントな三人が、世間との関わりにおいて、迷惑をかけたり、だまされたり、助け合ったりしながら、ドラマは進んでいく。

ところで、ロケ地が「赤とんぼ」の三木露風の生地であるたつの市だからなのかも知れないが、何で題名が「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」なのか?

龍野のお殿様の末裔のぐうたら公務員役で寺尾聡が出ているので、士農工商の頃からのたつの市の歴史も何か関係があるのかも知れない。

幼きイノセントな頃への郷愁の歌には、「十五でねえやは嫁に行きお里の便りも絶え果てた」という口減らし(子守奉公)のあった時代の俗な世間が対置されている。

ねえやの背中におんぶされて見たあの赤とんぼの乱舞する夕焼け空はどこへ行ったのか?

オレが昔夕焼けだった頃、弟は小焼けだった、親父は胸やけ、母さん霜やけ・・・というのは、松鶴家千とせ。

もはや無くしてしまったイノセンスをまだあるかのように見せてくれる山田洋次監督の職人芸の幻影に僕らは感動して涙を流すが、それはある意味、自己憐憫の涙なのだ。

~イエーイ。
では

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