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2012年8月14日 / misotukuri

映画「エッセンシャル・キリング」のエッセンシャル度

昨日の夏の甲子園、2回戦、鳴門高校は残念だったね。

七回裏のルールの盲点を突かれた失点が痛かった。

何のことか、説明を聞いても、よく分からなかったよ。

女子卓球の石川佳純(19)は、サーブ一球ごとに頭をリセットできるというが、さすがオリンピック銀メダリスト。

だが、彼らのレベルでは、あのショックをリセットすることは出来なかったようだ。

その後、WOWOWの録画で映画「エッセンシャル・キリング(Essential Killing)」(10年、ポーランド、ノルウェー、アイルランド、ハンガリー、イエジー・スコリモフスキ監督、ヴィンセント・ギャロ、エマニュエル・セニエ他)を見た。

いい映画なのか事前の解説があったが、こういうのはうっとおしいので、パス。

1時間45分を一気に見た。

これは、アルカイダみたいな主人公のテロリストがアフガンらしき渓谷からノルウェーかどこかの雪山の中を米兵や現地人らを殺しながらひたすら逃げ回る話。

何と、全編主役には一切セリフがない。

全世界の他の映画監督は、これを見て、きっと、(先に)やられたと思うだろうな。

これはまさに、囲碁のプロが黒番第一着手を天元に打つようなものだ。

誰もが一度はやってみたいが、その勇気がない。

現地語が聞きわけられないので、場所とか主人公のアイデンティティとか、こちらで想像するしかないのだが、そういうことはエッセンシャル(本質的な)事ではないのだろう。

これを見ながら、フレデリック・フォーサイスの小説「アフガンの男」を思い出した。

あるいは、この映画のヒントになったのかも。

あの小説に出てくる本物の方の「アフガンの男」を主役にしたら、こういう映画になり得る。

この「エッセンシャル・キリング」の主人公もまた、イスラムの大義とか個人的な復讐とか、あるいは金のためとか、何かのために戦っているのだろう。

だが、世の中の人は、そして、時には、彼を取り巻く極めて限られた関係者ですら、そのことを誰も知らない。

彼が成し遂げたこと、成し遂げられなかったことには、誰も気がつかない。

また、小説「アフガンの男」の中の本物の「アフガンの男」なら、自分のあずかり知らぬところで起きている陰謀というか、自分が何かのために利用され、生かされていること自体についても気がつかない。

このように、本人を含めた誰もが、部分的にしか分からないままに、殺したり殺されたりするという「エッセンシャル・キリング」、それが戦争という名の「殺しの本質」というものなのか?

そして、彼が使命を果たすために行動しているなら、それは、まさに、無名に生き、無名に死す男の美学というものだな。

世の中の人たちはせいぜい、彼が極めて危険な男としか分からない。

だが、彼が殺さなかった人たちのことを考えると、彼がエッセンシャル(本質的に)は、悪い人ではない、ただ、戦っているだけなのだということが自ずから知れるのだが。

エッセンシャル度85点。

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