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2012年9月11日 / misotukuri

「冥土めぐり」ーあまりに女性的な女性的な

第147回芥川賞受賞作、「冥土めぐり」(鹿島田真希著)読了した。

こんなこと言っては女性陣から叱られるかもしれないけど、これはあまりに女性的な女性的な作品だね。

そして、こういう小説を読むことにどんな意味合いがあるのだろうか?という疑問を覚えた。

やっぱり、感動するのかねえ?

私のような男性にとっては、こういう女性の心理を辿るのは苦痛以外のなにものでもない。

今まで最高に苦痛だったのは、ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」かな?

これもそれに次ぐ感じだ。

主人公の夫について、「彼はきっとなに何も考えていないのだ」とかいう描写があるが、まさしく私の思うこともそれ。

そっくりそのまま主人公にお返ししたい。

よく言うよ、自分は考えてるつもりかってね。

彼女の夫に対するそういう観察は多分正確だろう。

しかし、私に言わせれば、彼女自身も何かを考えて生きているようには思えない。

というより、女性の思考一般に言えることだが、単に記憶を追体験しているだけのことが多い。

その中で「うつ」というか、ネガティブな人は、繰り返し繰り返し嫌なことを想起し、自己暗示のように一つの固定観念をより一層強固なものにしていく。

男性の場合、普通、そういうのは思考とは言わない。

そこには、証拠も別の解釈も論理の展開も何もないからだ。

男性の思考とは、問題を解くことであり、時には問題を見つけることもそれに含まれる。

ようするに、大げさに言えば、世界の解釈というか、何かを説明するために行われる脳の作用が思考だと考える。

ところが女性はそんなことはどうでもいい、幸せを感じられたら。

幸せ?ハァ?と思うね。

自分の幸せの追求なんて思ったこともない。

それはあなたが幸せだからよ、と言うかもしれないが、多分、幸せの概念が根本的に違うと思う。

幸せとは何かを行った結果に付随するもので、目的達成と必ずしも一致しない。

だから、幸せか幸せでないかなんて、どうでも良いことだ。

チームプレーの場合、チームの中にそういう幸せ至上主義者がいると、時としてチームの目的達成のためには害になることがある。

それを指摘すると、「あたしはあの人のそばにいたかっただけなの」とかなんとか、わけのわからないことを言う。

日本の推理小説の殺人の動機にもそういうのがままあり、いっぺんに白けてしまうが。

ロンドン五輪の体操団体で、クレームをつけて入賞が銀になった時、喜んでいる仲間たちを尻目に、内村航平は「銀も銅も入賞もどっちでもいい」と言った。

金メダル以外眼中になかったのだ。

だが、男って、そういうものだろう?

また、そういう人間でなければ、金メダルは取れない。

金メダルを取ったわけでもないのに、仲間で手をつないで肩を抱き合ってぴょんぴょん跳ねて感激の涙を流すなんて、吐き気がするぜ。

そういう女性的価値観の蔓延の危険性に気がつかないのは、この芥川賞でも同じと見える。

「冥土めぐり」という作品の小説としての価値はともかく、主人公に全く感情移入出来ないのにはまいった。

そういう人間が少なくとも全人口の半分以上はいるということは確かだし、そのあたりは良く描けているし、文章表現や構成に破綻もないのでレベルの高さは感じられるが、反発と苦痛度は川上未映子の「乳と卵」以上だ。

ただし、文章が平易なので文法的に破綻していた前回の円城塔の「道化師の蝶」よりは読みやすいが。

特に主人公の周囲の夫、母親、弟などの悪口を延々と聞かされ、最後に馬鹿にしていた夫への見方の転回があり、それが癒しにつながるという短編ならではの作品構成は、単純だが絵になるシーンもあり、見事だと思う。

純文学はもう芥川賞受賞作しか読まなくなったが、次第に評価が難しくなる。

ひとつ直木賞の方もどうなっているか読んでみようか。

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