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2012年9月19日 / misotukuri

映画を見るペースが落ちたわけ

映画も半月ばかりご無沙汰していたが、一昨日続けて二本立てで「メン・イン・ブラック」と「ヒドゥン」を見た。

「メン・イン・ブラック」(97年、米、バリー・ゾネンフェルド監督、トミー・リー・ジョーンズ、ウィル・スミス他)、「ヒドゥン」(87年米、ジャック・ショルダー監督、カイル・マクラクラン、マイケル・ヌーリー他)。

似たような両作品には10年の公開年の開きがあるが、40年続いた冷戦末期と冷戦終結後10年経ってパクス・アメリカーナの時代の時代背景みたいなものが感じ取れる。

公開当時は同時代過ぎて気がつかなかったが、ともに時代が生んだ妄想が色濃く作品に反映しているように思えるので、見比べて分析したら面白いと思う。

暇な人、やっておくれ。

両方とも断片的にしか憶えてなくて、ほとんど忘れていた。

ともに古さを感じるのは自動車のデザインくらいのもので、今でも十分通用する。

それにしても、なんでまた、パッタリと映画を見なくなったのだろう?

昨夜見た「ハンテッド」(03米、ウィリアム・フリードキン監督、トミー・リー・ジョーンズ、ベニチオ・デル・トロ他)でまだ64本目。

この分では、年間120本は、今年は無理だな。

そのワケはだいたいわかっている。

「いつか晴れた日に」(95年、英・米、アン・リー監督、エマ・トンプソン、ケイト・ウィンスレット、ヒュー・グラント他)のせいだ。

これはジェーン・オースティンの「分別と多感」の映画化だが、2週間ほど前に見始めたのだが、途中でやめてしまった。

それは何故かというと、小説の方がまだ読めていないからなのだ。

積ん読になっているのだが、肝心の本が何処へ行ったのかわからない。

まだ読んでいない部分は見たくないので、映画は途中で見るのを中断した。

すると、急に他の映画を見る気になれなくてね。

2週間というもの全く映画は見ずだ。

ジェーン・オースチンの小説は、「自負と偏見」、「説得」だけしか読めていない。

だが、「分別と多感」は、「自負と偏見」、「説得」と似ているというか傾向はほとんど同じで、ちょっと白けて途中で投げ出してしまったのだが、考えてみれば、こちらがそもそもの最初だった訳で、「自負と偏見」、「説得」は、むしろその変奏曲。

そのことに思い至って、安直に映画「いつか晴れた日に」を見ようとしたけど、やっぱり、良心が許さないんだな。

それで、ストップしてしまったわけ。

文芸ものとか、映画祭受賞ものとかは、もう、ちょっとね。

エンタテインメントなら抵抗が少ないかと、一昨日からまた見始めた。

それにしても、「分別と多感」は何処に行ってしまったのだ?

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