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2012年11月17日 / misotukuri

衆議院解散総選挙-新しいゲームを始めるとき

ようやく衆議院解散したね。

さて、次の政権はどうなることやら。

しばし国民の選択を待とう。

期待をばらまいた民主党政権の惨憺たる顛末を見て、今度はどういう選択をするのかねえ?

悩ましいところだ。

ゲームで言えば、今のところ、やることなすこと全てが裏目に出ているという状況かな。

物事の流れが悪くなっている時というのは、それを良くしようと思っても、必ず何かの限界があって、辛抱が出来ないとしたものだ。

その限界とは、たいてい、金が続かないか、時間が足りないかのどちらか。

たとえば、ポーカーでいくらいい手が来ていても、敵のレイズにコールしようにも金がなければ出来ないし、なぜか上昇舵が利かず、急降下している旅客機のパイロットには時間が絶対的に足りない。

いったい、こういうときには、どうしたらいいのか?

もはや判定では勝てないくらいポイント差がついたボクサーの採り得る選択は、起死回生の大勝負に出て結果華々しく玉砕するか、これ以上怪我しないように試合放棄するしかない。

問題は、ボクサー自身に現状を冷静に認識できる判断力が残っているかだ。

だいたい、正常な判断が出来ないくらいダメージを受けているもの。

そういうときは、セコンドが冷静な指示を与えなければならない。

格闘技好きの野田総理は玉砕を選択したようだが、セコンドの指示はあったのか?

それはともかく、政治の場合、ゲームのプレーヤーは政治家や政党だけでなく、国民もプレーヤーだからね。

国民にどれだけ現状認識できる判断力が残っているか、それが問題だ。

まだ金も時間もあると思っているのか、いったん、ゲームを終わらせて、新しいゲームを始めたいと思っているのか。

もっとも、民主党政権が誕生した時には、もうてっきり新しいゲームが始まると期待したのだろうが、ひどすぎたね。

どいつもこいつも、腰抜け揃いで、血を流す覚悟がなくて何で革命ができるのか?と思ったよ。

オレはネットウヨクだが、左派の正義感は嫌いではない。

それが改革のパワーとなるのに、肝心のパワーを失ったら、何だ?

改革を議論するのは好きだが、実際に改革するのは好きではないのを露呈してしまった。

孫子列伝でいう兵法を議論するのが好きなだけの君主と同じだ。

改革をファッションと捉えているに過ぎない単なる軽薄。

その点、良識は常に右派にあるね。

これはきっと、深いところで人間性への理解の度合いが違うんだよ。

従って、今度はラジカルな右派がいいのかな?

たとえ、腰砕けに終わっても、良識は残りそうだからね。

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