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2012年11月27日 / misotukuri

「FRINGE/フリンジ・シーズン3」始まる

先週からスーパー!ドラマTVで「フリンジ・シーズン3」が始まっている。

もう一つの世界のオリビアがこちらの世界のオリビアといつの間にかにすり替わり、こちらの世界に潜入することに成功するというシーズン2衝撃のラストを受けて、第一話はもう一つの世界に取り残されたオリビアの話だった。

凄かった。

特に、こちらの世界のオリビア(ややこしいので、「オリビア1」としよう)に、並行宇宙とも言うべきもう一つの世界のオリビア(オリビア2)のリンパ液(?)を注射して、オリビア1をオリビア2にしてしまうというアイデアには参った!

しかも、注射の効き目が遅く、それが効いてくるのは、オリビアが拘禁されていた医療施設を脱出し、逃走を開始してからというところが何とも実に素晴らしい。

その理由は、注射していた担当医の一言で明らかにされるのだが、それがまたこれぞSFという見事さ。

しかも、それだけでなく、こういう洗脳を通じて、人間存在とは何か?について考えさせられる哲学的なところが、何ともうれしい。

「我考う故に我あり」という我とは、具体的には、いったいどこに鎮座しているのか?

記憶の中にあるのではないよな。

記憶は日々失われて行くが、私という人格は残っているからね。

もっとも、ボケて記憶を完全に失ってしまったら、私という人格はもはや存在していないのは確かだが、記憶そのものが人格でないのは確かなことだ。

なぜなら、記憶も、私という人格によって都合よく改竄されがちなものだから。

では、私という人格は、脳の中に私の記憶を走らせるときだけ存在する幻のようなものなのか?

あるいはそうかもしれない。

全く、考え込んでしまうじゃないか!

では、オリビア2の記憶を注入されたオリビア1は、オリビア1とオリビア2とが併存する存在になっているはずだ。

だが、オリビア2が最適なときにはオリビア2が顕在化する。

そこで、恋人の名前を最初はピーターと言っていたのに、いつの間にかフランクになっていたりする。

また、射撃はそれほど得意ではなかったのに、いつの間にかオリンピックで金メダルを取るほどの腕前になっていたりする。

私が言う記憶とは単なる過去の出来事の記憶のことではなく、身体能力や癖や嗜好など後天的に獲得したものを含む全ての記憶のことだ。

オリビア1の肉体にオリビア2が顕在化している時、オリビア2は事実上2人いることになる。

こちらの世界ともう一つの世界で体験することが違うから、記憶は微妙に食い違っているが、食い違いが生じるまでの記憶は寸分変わらず同じだ。

とすると、これはどういうことだろう?

二人のオリビア2が向かい合った時、共に鏡の中の自分を見るように、(映像は左右入れ替わっているはずだが)、あれも自分だと認容できるだろうか?

もし、違うと思うなら、その人の人格とは、先程の脳の中にその人の記憶を走らせる時だけ存在する幻のようなものとも言いがたいことになる。

では、どこにいるのか?

やはり、認容すべきことなのではないのか?

うーん、得心するのはなかなか難しい。

量子力学の瞬間移動なら、送信側は送信と同時に消滅するので、同じ物が同時に2つ存在するなんてことはないのだが・・・

化学的な反応によるものなら、同じ物が同時に複数個存在することもあり得る。

このアイデアは初めてだね。

J・P・ホーガンの「マルチプレックス・マン」、ロバート・C・ウィルスンの「連環宇宙」でも似たようなことはあったが。

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