Skip to content
2012年12月16日 / misotukuri

「シェイプシフターは電気羊の夢を見るか?」には泣けた

フリンジ・シーズン3の第四話は、「シェイプシフターは電気羊の夢をみるか?」だったが、泣けたね。

これは、題名からしてJ・J・エイブラムスによるP・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」へのオマージュだが、これまで見てきた「フリンジ」の中でも出来のいい作品だったと思う。

こんなすばらしいSFドラマをまだ見ていない人のために少し解説すると、「フリンジ」でのシェイプシフターとは、もう一つの世界でウィリアム・ベルが作り上げた半分機械で半分生物の何者にでも姿を変えられる化物なのだが、そういう彼らがこちらの世界に送り込まれて、スリーパーとして一般市民や政府高官に成りすましているのだ。

ところが、長い間、殺した人間に完璧に成りすまそうと努力していると、いつの間にか予期せぬ「人間的感情」とやらが生成されてしまう。

今回は、そういう「人間的感情」を持つようになったシェイプシフターの悲劇の話だった。

5年も家族として一緒に暮らして、幼い息子の成長を見守ってきた家庭では優しいパパに化けたシェイプシフターは、ある夜、突然、上司の訪問を受け、スリーパーとしての任務の終了と新しい任務を告げられるのだが、何故か気乗りしない様子なのだ。

新しい任務とは、すなわち、また別の人間を殺してその人間に化け、ある研究施設に潜入し、そこに囚われている仲間のシェイプシフターの記憶チップを奪還してくるというものだった。

別の人間に変身すると、もう今の優しいパパの姿には戻れなくなる。

そのシェイプシフターには、もちろん人間でない身ではあったが、それは如何にも耐え難いことだった。

赤い血の代わりに水銀の血が流れていても、もうひとつの世界からスパイとして送り込まれてきた半分機械の化物でも、もはや彼らは成りすました人間そのものになってしまっていた。

任務を忘れたわけではないのだが、今の愛し愛される家族の関係を任務のために断ち切るなんて、とてもできなくなっていたのだ。

ホント、いい話だったな。

P・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は、リドリー・スコットにより「ブレードランナー」として映画化され、そちらを知っている人の方が多いだろうが、もし、まだ読まれていない方がおいでたら、是非、お読みになるといい。

小説では、人間そっくりのアンドロイド(映画では「レプリカント」)というロボットと人間とを峻別するのは、生き物に「感情移入」できるか?という点だった。

機械には感情がないから、対象物に「感情移入」もできない。

だが、それは思考の仕方にもよるのではないだろうか?

このシェイプシフターは、人間そっくりになろうとするあまりに考え方や感じ方まで人間そっくりになってしまったのだ。

当然、「感情移入」もできてしまう。

まあ、このようなことが現実に可能かどうかはともかく、そのように仮定することによって、我々が普段確実だと思っている人間についての観念を突き崩してくれる話であるということは確かだろう。

そういう思考実験を小説やTV映画という形でするのが、SFのSFたる所以なのだ。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。