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2013年1月6日 / misotukuri

「硝子戸の中」-不愉快のミーム

去年は私にとって最低最悪の年だったが、今年はどうかと思っていたら、元旦から憂うつなことが起きてしまい、何か「ファイナル・デスティネーション」へ突っ走って行く感じがまだ続いている。

気晴らしに、何か新しいことと思い、帰省していた娘がKindleを持っていたのに触発され、市の電子図書館に加入した。

借りた本を「読む」をクリックすると、自動的にWBOOK Readerがダウンロードされ、クリックしていくと、インストールされるのだが、XPマシンではすんなり出来たが、Vistaマシンではインストールに失敗した。

とりあえず、試しに何か読んでみようと短いものを探したが、食指が動かないものばかりなので、選ぶのに困った。

ようやく「硝子戸の中」(夏目漱石)を見つけ、早速読み始めたが、新字体でルビも振ってあり、思いの外読みやすい。

「硝子戸の中」は、大学受験浪人している時に居候をしていた叔父の家にあった「夏目漱石全集」をかたっぱしから読んで以来。

漱石の日記も少し読んだが、こう言っちゃあなんだが、偏見に基づく悪口雑言の類が多く、当時は反発を感じただけだった。

今ではあくまで小説家の私的記録と解釈している。

まあ、そんなものは研究者でもなければ読みはしないし、読者としては作品が全てなので、日記に何が書かれていようとどうでもいいことだ。

ただし、漱石の小説に書かれている何らかの価値観に属する言説や感覚は全て漱石自身が本気で考えたり思ったりしていたことだと思う。

その辺が小説としてはまだ技法的に未熟だったように思う。

それはともかく、当時の私は夏目漱石の夏目漱石的考え方にかなりの反発を感じたものだが、この「硝子戸の中」をウン十年ぶりに読んでいると、そこには何と私自身があちこちで折に触れ言っているようなことが書かれているではないか!

まるでそっくりだ。

愕然としたよ。困ってしまうよ。

人は、誰でも自分の考え方については、誰かの影響を受けたということを意識していると思う。

だが、感じ方についてもそうだとは、なかなか思わないのではないか?

なぜなら、それはあまりに自分自身の私的体験に根ざしたものだからだ。

漱石の不愉快の感覚が、知らず知らずの内に私などにも影響を与えていたというのを発見したのは驚きだった。

これぞ、ミームだね。不愉快のミーム。

ミームについては、下記を参照してくれたまえ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0

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