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2013年1月14日 / misotukuri

誰のための体罰か、はっきり言ってくれよ

桑田真澄が「体罰不要論」で、「監督が采配ミスをして選手に殴られますか?」と言っているが、まさにそのとおりだ。

http://www.asahi.com/edu/articles/TKY201301110314.html?ref=comtop_fbox

選手でなくとも、ファンやオーナーに殴られたら、どうするか?

「ちょっとしたミスでいちいち殴られてたんじゃ、やってられないよ」と監督を辞めるのではないか?

なら、体罰を受けた選手だって「馬鹿馬鹿しいよ」と言って、やめたらいいと思う。

学校で課外授業でスポーツをやっていることの目的は何かと言えば、個人個人それぞれ考えが違うだろう。

体罰をするんなら、誰のためか、はっきり言ってくれよ、と思う。

だってね、一握りの才能のある者は、奨学金をもらい、将来はプロフェッショナルになるためだろう。

また、それほど才能のない者にとっては、体力づくりや、好きなスポーツを楽しむためだろう。

そうした中で、監督やコーチなどの役割は何かよく考える必要がある。

チームが勝つために体罰が必要だというなら、それは監督、あんたのためにやってることだろう?って言いたくなる。

学校の方針で、運動能力に秀でた生徒を集めてきて、全国大会で良い成績を残すことを求められているところもあるだろう。

そういう学校に集まってくる生徒たちでレギュラーになれない者たちというのは、どんなきれいごとを言って誤魔化しても、せいぜいレギュラーの練習相手としての存在理由しかない。

まあ、彼らはそもそも体罰などしても意味が無い連中だから、そんなもの受けたりしないだろうが、万が一、受けるようなことがあれば、そんなところはやめてしまえばいいのだ。

体罰を受ける可能性のあるのは、レギュラー・クラスの才能のある者だけと思うが、彼らとしても身体を壊されるほど体罰をやられては、プロになれなくなるから、度が過ぎるようだとそんなところは早めにやめた方が賢明だ。

才能のある選手個人にとっては、アマチュアの団体競技では、勝つことよりも、自分の個人成績を上げることの方が大事だ。

甲子園で優勝することより、ホームランをたくさん打ったり、三振をたくさん獲った方が、プロのスカウトの目に留りやすい。

日本のスポーツ界には変な精神主義がはびこっていて、現実を直視しようとしないから、体罰についても奇妙奇天烈な容認論がまかり通る。

体罰が必要なのは、チームプレーで敵と命のやり取りをする軍隊くらいのものだろう。

それでも戦闘が不可能になるほどの体罰は意味が無い。

私は、昔から個人競技は好きだが、団体競技は心底からは好きになれないのだが、そのわけが今頃ようやくわかったよ。

体罰があるからだな。きっと。

個人競技ではそもそも勝つも負けるも自己責任だから、体罰なんてする理由がない。

個人競技で体罰があるとすれば、それは単なるイジメにすぎない。

イジメは犯罪だ。

しかし、世の中には、どこにでも頭が変な人がいるからねえ。

間違ってることでも、平気で言ってきかないから、ホントに困ったもんだよ。

警察は事件にならないとでてきてくれないし・・・・

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