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2013年4月28日 / misotukuri

整形してきれいになっていけないかしら?-整形美人の文化

今日、一番笑ったのは、これ。

http://news.aol.jp/2013/04/25/korea-girls/

<2013年ミスコリア候補が、全員同じ顔!?「似ている」を超えるレベル、「完全に一致」の声 2013年04月25日 14時10分>

確かに、不気味なほど似ている。

ホント、確かに韓国のミスコンは、整形の技術を競うコンテストみたいだね。

女優さんや俳優さんが整形しているのは、まあ、わからんでもないが、こういうシロートさんが整形するかね?

しかも、ここまで美への嗜好が画一的となると、これは文化だね。

およそ他国の文化というのは、どんなに変わっていても、へぇー!とかフーン!とか言って驚く程度のことなのだが、何故か、朝鮮の文化は驚きを通り越して、馬鹿馬鹿しいと感じてしまう。

それは、何故か? ということも考えておかなければ、単なる朝鮮人蔑視に堕してしまうので気をつけなければならない。

以前に、葬式などでアイゴー!とド派手に泣く「泣き女」を考えたことがあるが、彼らの間で時として見られる慎みの欠如した大仰な感情表現にはほとほと辟易する。

と、まあ、そのように感じるわれわれ日本人のストイックな価値観の起源も、だが実はそれほど古くはないと思う。

感覚的に言って、せいぜい江戸中末期に遡れる程度ではないだろうか?

それはともかく、韓国では何故、整形美人がはびこるのか?

これには歴史的な理由があると思う。

朝鮮半島は日本列島などと比べると陸続きという地理的要因もあってそこに住む人々は早くから中国文化の影響を深刻なまでに受けてきた。

朝鮮語というのは日本語と今でも文法的にほとんど同じで、語彙も時代を古く遡るにつれ共通していたと言われている。

日本人と朝鮮人(少なくとも南朝鮮人)とは、共通の祖先を持つ兄弟のようなものだった。

ところが、先ほど述べたような地理的事情で自らの文化を高度に熟成する余裕なく文明開化させられ、文化的な洗脳にあってきた。

その証拠に、日本には古事記とか万葉集など古代の日本語をどのように発音していたかが推測できる神話や詩歌集があるが、朝鮮にはそのような古文書がなく、古代朝鮮語がどのような形であったのか、ほとんどわかっていない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E8%AA%9E

これは、つまり、中国文化による文化洗脳が、朝鮮では起き、日本では免れたということだ。

朝鮮では自らのルーツに基づく独自の文化を形成できなかった。

そのような人々の思考や行動の様式は、必然的に、”手っ取り早く、いいものを手に入れる”とならざるを得ない。

そして、その”手っ取り早く、いいものを手に入れる”行動には、自明的に何のためらいもない。

アッケラカァーのカァーだ。

で、整形してきれいになる、それのどこがいけないの? となるわけだ。

こと、整形だけでない。

何でもだ。

ようするに、パクリ根性が染みついているということ。

しかし、パクリだって、それのどこがいけないの?という考え方もあるわけで、それを否定するのも一つの価値観に過ぎないのだ。

だって、パクってもいいけど、ちゃんとお代は払ってねというのが、著作権という法律で守られた権利。

これは、価値観とは直接関係ない経済的必要から生じたことで価値観に基づくものではないからね。

それを倫理的にイケないかのように言うのは、それは、やっぱり、一つの価値観と言うべきことだろう。

ところで、パクリ根性は、何も韓国人の専売特許ではなく、先進文明の波が押し寄せている文明開化時代の人々の間に発生するものだと思う。

明治時代の日本、現在の中国だってそうだ。

だが、朝鮮では、それが三国時代以降、現代に至るまで、ズーッとだ。

これは、異常だね。

だが、その二千年にもわたる文化洗脳を受けて、骨の髄まで染み込んだパクリ根性は、もはや習性というより本能となってしまって、韓国人の誰もそれが異常なことだと気がつかない。

しかし、笑えないのは、われわれにも、自分では気がつかなくても、そのようなことが多々あるということだ。

「他山の石」ということかな?

多様な価値観の存在を認め、許容する度量を持つこと、それが進化発展の礎となる。

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