Skip to content
2013年6月2日 / misotukuri

大神神社から箸墓まで歩いた

一昨日、奈良で同窓会があったので、高速バス、JR線を乗り継いで行った。

午後1時43分頃、JR三輪駅を降りて、いったん、大鳥居まで下ってから、大神神社、久延彦神社、狭井神社、桧原神社と山辺の道を歩いて箸墓まで見て回った。

ただ歩くだけなら、1時間くらいの行程だが、お参りしながら写真を撮りながらなので、JR巻向駅に着いたのは午後4時25分になっていた。

このコース、一度は歩いてみたいと思っていたところなので、ようやく念願がかなった。

まずは、大神神社だが、ここはご神体をお祀りする本殿がなく、三輪山そのものが御神体であるという。

電車の窓から見ても黒い大鳥居が遠くからも目立ったので、これは是非近くに寄ってみなくてはと駅から10分くらい歩いたが、さすがに巨大だった。

いわゆる島木鳥居の明神鳥居タイプだが、柱頭に台輪がない。

DSC_2338rr

また額束まで真っ黒に塗られているのが異様に見えたが、そもそも大鳥居には額束はあっても額はつけないものなのかどうかよくわからない。

二の鳥居の額束には「三輪明神」という額が掲げられていた。

DSC_2345rr

明神というのはたいてい蛇神なので、三輪明神とあるのには納得した。

大神と書いて「おおみわ」と読ませ、大神=三輪山(みわさん)を指し示し(明神)、大物主神(おおものぬしのみこと)をお祀りしていることから、大神=大物主を指し示している。

DSC_2350rr

参道やら境内のあちこちに木製灯籠があるが、どれ一つとして菊の紋章が入っていないのが印象的。

上の写真では菊の紋が入っているが、これだけ。

いかにも国譲神話で国を譲って出雲に籠もった古い神様の神社らしく、天孫系の今の皇室とは系統が違うのかとこれまた妙に納得した。

ま、全然見当外れの勘違いかもしれないが・・・

他のは皇室が寄付したのではないからだろうか?まさか、断り切れず・・・・はないわな。

まだあまり咲いていないささゆり園を見たあと、大神神社から山辺の道に入り、狭井神社を目指した。

「ヒカルの碁」に登場するサイもここと何か関係があるのだろうか?

古いと言っても更に時代が違うが。

途中、しめ縄が明らかに蛇のかたちで、さすがと思いつつ、道端の草むらが気になった。

DSC_2388rr

途中、久延彦神社に立ち寄り、大和平野が見渡せる美和の杜展望台で、大和三山、二上山などを確かめた。

大神神社から狭井神社まで、約5分の距離。

狭井神社鳥居をくぐってすぐ左の池端に、大神神社末社の市杵嶋姫神社(いちきしまひめじんじゃ)があり、ここにも卵を二つずつ並べてお供えしてあった。

DSC_2436rr

これも何か、やっぱり意味があるんだろうね。

DSC_2445rr

今の皇后陛下の皇太子妃殿下時代の歌碑「三輪の里狭井のわたりに今日もかも花鎮めすと祭りてあらむ」が参道の右側に、そして左の池の端には三島由紀夫の三輪山登頂の感想を述べた「清明碑」があった。

共に因縁のあった時期と碑の建立の時期がかなりずれているが、何か理由でもあるのだろうか?

お参りしてから、御神水を一杯いただいた。

三輪山に上るにはここで入山許可を得なければいけないが、既に午後2時を疾うに過ぎて午後2時53分。

登頂は次の機会にし、檜原神社を目指すことにした。

地図で見ると感覚的には25分くらいかなと思ったが、約20分というので安心した。

途中、貴船神社、龍神神社、玄賓庵(げんぴあん)にも駆け足で立ち寄り、参拝しながら、ようやく(元伊勢)檜原神社(ひばらじんじゃ)に到着。

午後3時33分。約20分のところ40分かかっていた。

檜原神社は、大元の伊勢神宮で、大神神社の摂社であり、天照大神を祀っている。

左の豊鍬入姫宮は、崇神天皇の皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと=初代の斎主)を祀っている。

この豊鍬入姫は邪馬台国の女王、卑弥呼の娘であり、二代目の女王台代(とよ)という説がある。

もちろん、その方が面白いし、ロマンがあるが、実際のところはよくわからない。

DSC_2582rr

伊勢神宮の起源については、伊勢神宮側からの記述と大神神社側からの記述を合わせて読み解くと面白いと思う。

檜原神社から倭建命(やまとたけるのみこと)歌碑を通り、箸墓を目指すが、真正面に見えているので間違いようがない。

箸墓に至る道を歩いていると、三輪山、檜原神社、箸墓とほぼ一直線に並んでいる位置関係がよくわかる。

その向こうには二上山も見える。

大津皇子の悲劇は有名。

姉の大来皇女が詠んだ歌「うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む」

犬養孝先生のテープを通勤途中、毎日のように聞いたので覚えている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%A4%8A%E5%AD%9D

DSC_2575rr

箸墓は元々円墳だったが、後に台形のような方形が付け加えられ、前方後円墳となった。

おかげで、方形の部分が前と言うことで、方形の部分でお祀りをすると考えるとどちらの方向を向いているかよく分かる。

地図で見る限り、景行天皇の宮である纒向日代宮(まきむくひしろのみや)跡なのだが、これはちょっとおかしいね。

方形部分は景行天皇時代に付け加えられたのではないか?と疑いたくなる。

それに、箸墓の所在するあたりの地名だが、巻向(まきむく)と言うが、これも象徴的だね。

箸墓に立って、南から東、そして北へと巻くように向くと大神神社(三輪山)、狭井神社、桧原神社、纒向日代宮跡、景行天皇陵と次々に見える。

だから、巻向(まきむく)と言うんじゃないか?

箸墓については、卑弥呼の墓である可能性が高まったというニュースが最近あった。

私は自分の頭の中では前から箸墓は卑弥呼の墓だと思っていたので、あまりそれをニュースとも思えず、箸墓に行ったことを相部屋となった同窓会のN会長に話すまでそのことを忘れていた。

箸墓伝説は、ギリシャ神話にそっくりの話があり、そのギリシャ神話はまたそれに先行するメソポタミヤ神話に同じ話があったと思う。

メソポタミヤ神話、ギリシャ神話、旧約聖書を読んでいると、古事記とまったくそっくりな話が他にもいくつかあり、それがまた誰もが知っている有名な話なので、それに初めて気がついたときには本当に驚いたものだが、その話は前にもしたので省略する。

箸墓が卑弥呼の墓なら、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)=卑弥呼(あるいはそれに準ずる者)ということなのだろう。

桧原神社の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと=初代の斎主)宮の豊鍬入姫命=卑弥呼の娘であり2代目女王台代(とよ)とすると、箸墓の主は台代(とよ)かもしれず、一緒にまつられていたが、後に分かれて、伊勢神宮の外宮に移ったのかもしれない。

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は、一応孝霊天皇の皇女とされているが、実在の人物かどうかは疑わしい。

また、名前も神話時代の神様特有の長ったらしい名前で、とても一度に頭に入ってこないが、よく見ると、(やまと・ととひ・ももそ・ひめ・みこと)と分解できる。

ここで問題なのは、迹迹日(ととひ)の部分で、「鳥飛ぶ」の意と考えられ、離魂型の巫女と解釈されているが、これについては下記のブログの記事が実に興味深く示唆に富んでいる。

http://www.dai3gen.net/yamatoto.htm

私は、迹迹日(ととひ)の(とと)から(トト=ギリシャ語でエジプトの知恵の神)を連想した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%88

トキとヒヒの姿で描かれるこの神は、まったく関係がないのかもしれないが、共通点があり、直感的に何か近いところでうろうろしているような気がする。

トト

<写真=トトメス王の墓にあったエンドウ豆の花「トト」>

だが、一昨日(おとつい、おととい)の連想には驚いた。

なるほどね。

古代日本語の音韻学の本を読んでみよう。

甲類乙類ねえ。なんか、お酒みたいだね。

いやあ、でもまあホント、山辺の道を歩いて良かった。

DSC_2658rr

次は、三輪山登山と、景行天皇陵まで歩くことかな?

いつになることやら分からないが。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。