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2013年6月11日 / misotukuri

今さらコーンウェル「証拠死体」読了

朝、寝床から起き上がる時に、こ、腰が・・・・と痛くてなかなか立てなかった。

それが3日前。

以来、腰に湿布を貼って、ズーッとベッドで寝ていた。(だいぶましになってきたが、椎間板ヘルニアの再発かな?)

何もできないので、せめて本でも読もうと積ん読本を適当に手に取ったのが、「証拠死体」(パトリシア・コーンウェル著)。

長女が面白いから読む?とか言って、置いて行ったものだ。

パトリシア・コーンウェルは、実はまだ読んだことがなかった。食わず嫌いでね。

しかし、こういう時ででもないと絶対読むこともないからと、積ん読本の中からコーンウェルのMWA処女長編賞受賞作をと読み始めたのだが、ふむふむ、意外とこれイケてるんでないか、と思い始めた頃に間違いに気がついた。

これはMWA処女長編賞受賞作(「検屍官」)ではなく、その次の作品だった!

しかし、もう引き返すこともできないので、「検屍官」は次の機会にして、そのまま読み続けた。

最初にどうやら殺される美貌の女性作家がキー・ウェストで書いた手紙が二通出てくる。

これが何とも言えずいい感じだね。

いつの間にか、ぐいぐい引き込まれて、女性検死官ケイ・スカーベッタ同様、謎が謎呼ぶ連続殺人事件に巻き込まれてしまった。

ちょうどスーパードラマTVで女性検死官ミーガン・ハントの「ボディ・オブ・プルーフ」を2週見たところで、ヒロインのイメージがダブって少し混乱して弱った。

もっとも、ミーガン・ハントのお母さん丸出しキャラより、こちらのケイ・スカーベッタはまだロマンス小説現役っぽい。

それなのに、そういうヒロインを意識するとき、すぐにミーガン・ハントの顔が浮かぶのだが、そのたび、違う、これじゃないと、頭の中でイメージを打ち消し、とりあえずパトリシア・コーンウェルの顔に何度も修正しつつ読み進んだ。

このミステリ、検死官ものというハードに専門的なミステリに独身女性を主人公に据えて恋愛を絡ませることによって、ハード・ミステリ・ロマンが出来上がる。

こういう組み合わせのコンセプトは当時は新鮮だったろう。

つまり、一つは、死体に残された多くのバラバラな科学的証拠に潜む何らかの関連性を推理し、一つのストーリーとして構築していくというハードなミステリ。

だが、そういうハードな法医学の専門的な箇所はヒロインの守護天使役のむくつけき大男のマリーノ刑事同様、読者もパスだ。

あくまでハードな雰囲気重視というか、推論の方向性だけわかればいいという味付け海苔。

もう一つは、信じたい、けど信じられない、でもやっぱり信じたいというヒロインの冷徹な科学者としての目をも曇らせる私的恋愛感情の味付け海苔。

さすが、ベストセラーになったのもうなずけるコンセプト。

だが、それがまさに私が食わず嫌いでパスしてきた理由でもある。

この小説、面白いし、良くできていると思うが、核となるミステリの部分は弱い。

死体に残された証拠から犯人のプロファイルを描き、それに当てはまる人物を探す過程で、浮かび上がった容疑者は殺されたり、アリバイがあったりして、次々に消えていく。

アリバイ崩しをしなければならないほど、確信の持てる容疑者はいない。

そして、最後に残った容疑者が犯人だろうということなのだが、どこにいるのか、どんな顔をしているのかもわからず、まだ犯人と特定できる段階でないにもかかわらず、一気に犯人として登場する。

やっぱり、犯人だったのね、と。

これは、長々と複雑な話を書いてきた割に、あまりに単純すぎるのではないか?

それに、被害者の足跡を辿るなら、もっと早い段階でチェックしなければいけないことを最後に来てやるというのもおかしいと思う。

しかも、刑事局としてはとうとうやっていない。

ようするに、こういうのは警察の調書と一緒で、「講釈師、見てきたような嘘をつき」だよ。

マイケル・コナリーの傑作警官小説「エコー・パーク」でも感じたことだが、こういう単純な結論を押しつけられると、ひねたミステリ・ファンには、また全然別の犯人説が成り立つのではないかという疑問が起きる。

それから、これは如何ともしがたいことだが、この小説が書かれた頃はまだ携帯電話や防犯機器が普及していなかったんだなということも時代を感じさせる。

やっぱり、旬を過ぎてしまって、今さらだったかな?

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