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2013年6月23日 / misotukuri

映画「デジャヴ」ータイム・パトロールのジレンマ

なかなか考えがまとまらなかったので、このブログに書かなかったのだが、映画「デジャヴ」(06年、米、トニー・スコット監督、デンゼル・ワシントン、ポーラ・パットン他)を2週間以上前に見た。

デンゼル・ワシントンの映画はなんやかやと見ているのだが、これって、SFだったんだねぇ。

SFという意識がなくて見ていたものだから、ホント、途中でぶっ飛んだよ。

フェリーを爆破したテロリストをデンゼル・ワシントン扮するスゴ腕刑事が追い詰めて行く捜査物かと思って見ていたら、一捻りも二捻りもしてあって、いつの間にか古典的なタイム・パラドクスものになっている。

何というこの鮮やかさ。

米国防省の監視衛星やネットで拾った街角や店舗の防犯ビデオ等の映像をスーパー・コンピュータにかけて合成処理し、見たい場所の4日前の映像と音声として再現する装置が出てくる。

そして、それをテロなどの犯罪捜査に役立てるのだという。

この技術のスゴイところは、ピンポイントで家屋の中まで自在に見ることができる所にある。

もちろん、欠点もあり、同時に他の所は見られないとか、録画はできるが、遡って見ることもできなくて、きっちり常に4日前の映像と音声だけだという限界がある。

そういう説明を聞き、ああ、これはまだ実現していない先進技術だなと思いながら見ていたら、それは全くの嘘で、実は4日前の過去をのぞき見ることができる装置なのだという話になってから、一気に、映画は時空を超えるSF恋物語に突入していく。

ところで、SFファンならすぐに気がつくと思うが、これは、もしあなたが既に起きた悲劇を事件発生の4日前から遡ってリアルタイムで見ることができるならどうするか?というタイム・パトロール・テーマでもある。

タイム・パトロールというのは、ポール・アンダースンのシリーズで有名だが、その根幹は歴史はどんな悲劇があろうと変えてはならないというもの。

なぜなら、歴史を変えれば、現在が変わり、収拾がつかなくなるからというもの。

しかし、そうではあるのだが、まあ例えば、あなたが2001年8月6日大阪教育大学付属池田小学校で起きた無差別児童殺傷事件を現在の時点でその4日前からリアルタイムに目撃することができるとしたら、そして、特にあなたが警察官だったなら、あの悲劇を座して見ていることができるだろうか?ということだ。

何とかして、あの子供たちを宅間守の凶刃から救いたいと思うはずだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%84%E5%B1%9E%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%B0%8F%E4%BA%8B%E4%BB%B6

映画「デジャヴ」の主人公は、同様に何とかしてテロを未然に防ぎ、そのきっかけとなった女性の命を救いたいと思い、過去を変えようとする行動に出る。

そして、それが、この映画の本質。

これは「過去を変えたら我々のいるこの現在の世界はどうなるか?」という理屈を楽しむSFの古典的なタイム・パラドクス・テーマでもある。

しかも、この時空を超える恋というタイム・パラドキシカルな映画としては、私がこれまで見たところ、1,2を争う出来映え。

SFとしてのチェック・ポイントは、ほとんど全てクリアしており、文句のつけようがない。

ひょっとしたら自分はタイム・ループに陥っているのではないかという疑いを持っているセリフなど、素晴らしいものだ。

強いて言えば、どんな時間理論に立脚したとしても、そもそも過去を改変することに意味はあるのか?ということについて、まだ十分考察ができていないところか。

しかし、座して悲劇を目撃するだけなどということは、アクション・ヒーローには決してできないことであり、彼がたとえ全世界が滅びようとヒロインを救おうとするのは当然のこと。

私は、フィクションとしては、これでいいのだと思う。

時間理論で一番面白いのは、定常宇宙論のフレッド・ホイルが書いた「10月10日では遅すぎる」だ。

そこでは、自分が観察者であるのか、それとも被観察者であるのかということが問題になる。

しかし、まあ、それは結局わからないとしたもので、我々は仮に自分たちが被観察者の宇宙の住人だとして、その上で如何に生きるべきかだろう。

その意味で、この映画の完成度は高い。

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