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2013年7月19日 / misotukuri

映画「ジェイン・オースティンの読書会」の本歌取の大甘度

今日、映画「ジェイン・オースティンの読書会」(07年、米、ロビン・スィコード監督、キャシー・ベイカー、マリア・ベロ、エミリー・ブラント、エイミー・ブレネマン、ヒュー・ダンシー、マギー・グレイス他、原作カレン・ジョイ・ファウラー)を見た。

もう少し、”純”文学かと思ったが、これは本歌取の大甘恋愛小説映画だね。

こんなのがあるか、って感じだ。

だが、大多数の女性はこういう結末を期待しているのかもしれない。

映画ではさすがに登場人物の年齢設定を若くしてあるようだが、なお甘すぎる。

これは、原作を読んでみなくては。

一度、借りてきたことがあるんだけどね。

ジェイン・オースティンの作品を2作しか読んでいないのでは、読書会に参加できないように思えて、読むのを断念したのだったが、まあ、あまり関係ないような気がするね。

ジェイン・オースティンは、「自負と偏見」、「説得」しか読んでいない。

「分別と多感」は、途中まで読んで、どっかへ消えてしまった。

「エマ」は、なかなか読む気が起きなくてね。

「マンスフィールド・パーク」や「ノーサンガー・アビー」などはそもそも読む価値があるのかと思ってしまう。

「分別と多感」を読んでいて思ったのだが、ジェイン・オースティンは、「自負と偏見」、「説得」を読めばもう十分じゃないのか?

だって、いくら読んだって、似たり寄ったりの登場人物について、あれはイヤな奴だとか、いい女だとか言うくらいのもので、キメ言葉にしても、ブリジット・ジョーンズなら喜びそうな「そのままの君が好きだ」程度だろう?

この映画「ジェイン・オースティンの読書会」の中で、ハンサムな生徒と恋に陥るフランス語教師プルーディが、「ジェイン・オースティンは、結婚後の話は書いていない。女は年寄ると母親に似てくるというが、エリザベス(「自負と偏見」の主人公)もあのお馬鹿な母親そっくりになるのか?」とかいうシーンがあるが、これがこの映画唯一の鋭い見方だ。

トルストイの「戦争と平和」でピエールと結婚したナターシャのシニカルな後日談にショックを受け、さすが、文豪トルストイと感心したが、ジェイン・オースティンは41歳で死んでいるし、書いた年齢も違う。

ジェイン・オースティンの「自負と偏見」(「高慢と偏見」、「プライドと偏見」とかいろいろな訳がある)も、後日談をどうしても読みたいという読者のためにジェイン・オースティンに代わって書いた人がおり、いくつかあるようだ。

どうせ、読むに堪えない駄作だろうから、翻訳されても読まないだろうが。

「風と共に去りぬ」の続編、「カラマーゾフの兄弟」の続編など、もし、本人が書いたらどうなっていたか気になるところだが、さすがにファンが書いた物まで読む気はしない。

なお、スティーグ・ラーソン本人の遺稿で「ミレニアム」三部作の続編もあるらしいね。

ドラゴン・タトゥーの女、リスベット・サランデルにもう一度会いたいファンもいるだろう。

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