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2013年8月24日 / misotukuri

あなたの葬式に行く約束だったから・・・

 相次いで親戚、知人、友人、恩人が死んで逝く・・・
 昨日も一人、今度はNさんの訃報を受け取った。
 そして、今日、葬式だった。
 Nさんは私の昔の上司で、私生活でのつきあいはなかったが、数少ない私の良き理解者で支援者だった。
 仕事に取り組む姿勢や生き方において、私が非常に影響を受けた人で、人生の師とも言える。
 簿記のボの字も知らなかった私に会計学の道を開いてくれたのもNさん。
 おかげで、スポーツ欄以外に読んだことなかった日経新聞が読めるようになった。
 あるとき、Kさん(故人)が、「Jinchanはアカンな」と漏らすと、「何言よんな、あいつは命を貼っとるんやぞ」と言ってくれた。
 そういうNさんに、私は心酔していたが、一緒につるんで遊ぶということはしなかった。
 それを知る私の友人が、ある酒席でNさんに、こんなに心酔している癖に、私がNさんにべたべたすり寄って行こうとしないのは何故かというようなことを言ったことがあった。
 私は「それが君子の交わりじゃ」(「君子の交わりは淡さこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴(こざけ)の如し」荘子-山木篇)と言ったか、そう思っただけかは忘れたが、その時、Nさんは、「Jinchanはな、どこにいても、ワシの葬式には来てくれると思う。(それでええ)」と言ったのを憶えている。
 だから、訃報を聞いたとき、今日の葬式には何を置いても行かなければならないと思った。約束だったから。
 告別式の会場は、A市の西の方の葬祭場だった。
 12時から告別式で出棺が1時と言うので、徳島市内からなら1時間も見ておけば十分と思い、10時50分頃家を出たのだが、徳島市のはずれまで来たらナビが「3Km先渋滞です」と言うではないか!
 久しぶりの雨だが、それで渋滞になるとはとても思えない。何故だろう。
 仕方がないのでナビのルートとは違うルートを行くことにした。
 しかし、ここでも、渋滞とまでは行かないものの、ノロノロ運転がA市の入り口まで続いた。
 イライラしたが、こんな時事故を起こしたらいけないので、あえて慎重に運転した。
 おかげで、会場に着いたのは、11時を10分ほど過ぎていた。
 意外と小さな会場で、駐車場も狭く、既に満杯となっており、どこにも駐めることができないので、通路の真ん中に出口に向かって駐めた。
 中に入ると読経の声が聞こえてきた。
 受付を済ますと、ロビーまで溢れている会葬客の前を通って、別室に案内された。
 部屋の前方に大きなモニターがあり、読経の様子が映し出されていた。
 部屋もぎっしりと会葬客で埋め尽くされていたが、奥の後ろの方に一つ空席を見つけたので、そこに腰掛けた。
 後ろ姿しか目に入らないが、会葬客を見回して、知った人がいないか探してみた。
 一人、壁際で斜に構えたような姿勢の人がいるのが目についたのでよく見ると、Goちゃんだった。
 何を考えながら、モニターを見ているのか?考え事をしている顔だった。
 それから、Taさん、Miさん、さらに数人、目についたが、いずれも他の会葬客同様、ただ黙然とモニターを見つめていた。
 西の方の葬式は派手で、親戚が一人ずつ坊主を連れてくるので、すぐに坊さんが7人や8人になる・・・とか、故人が昔言っていたので、さぞかし豪勢な葬式になるのではと思っていたら、意外にも坊さんは一人だけだった。
 割と質素だけど、会葬者は非常に多い。
 これって、葬式としては理想じゃないか、と思った。
 良かったね、Nさん、たくさんの人がお見送りに来てくれて。
 やはり、Nさんの人徳だろうな。
 みんながそれぞれにNさんとの思い出を持ってお見送りに来てくれた。
 思い浮ぶのは、最後に別れたときの顔でなく、去年の暮れに、来年の新年会を欠席すると私に言ってきたときの電話の声だ。
 それは、ちょっとお酒が入ってて、ボケたふりして、面白いことを言う時のいつもと変わりない声だったのだが・・・
 その時私は既に同窓会の事務局長を辞任して、計画通り、ヒラの理事に収まっていたので、新しい事務局長の電話番号を教えてあげた。
 「良いお年をお迎えください。新年会の次の総会で、またお会いしましょう」と言って電話を切ったが、しかし、今考えると、あれは私に最後のお別れを言ってきたのではないかと思えてならない。
 Nさんは、私の声も多分これが最後と聞いておきたかったのだろう。
 というのも、私が事務局を辞めたのは、Nさんもその時その場にいたので十分承知していたはずだから。
 私は、Nさんが、ボケたふりしてるんだな、とは思っていた。いつものことだから。
 しかし、鈍感な私は病気がまさかそこまで進行していたとは思っても見なかった。
 安らかにお眠りください。
 そんなこんな思いながら、焼香を済まし、席に戻ると、やがて、最後の読経も終わり、坊さんが出て行った。
 そして、告別式の最後に故人の長女の夫が親族代表で挨拶をした。
 彼が、「義父は、昨年9月に胃がんで余命1ヶ月と宣告されました」と言うのを聞いて、思わず、グッときてしまった。
 やっぱり、あれは私にさようならを言ってきたのだ!
 Nさんのことだから、まだ頭がしっかりしている内に、言っておこうと思ったのだろう。
 私は、そうとも知らず、声に力があって、いつもどおりの声だったから、ああ、またとぼけて・・・しょうがないな、と思いながら、相手をしていたのだが・・・
 だが、まあ、人生って、そんなものだ。
 Nさんも病気のことはおくびにも出さなかったし、ごく普通の会話をして、それでさようならに代えたのだ。
 映画「ウェスタン」で最後にシャイアン(ジェイソン・ロバーズ)がハーモニカ(チャールズ・ブロンソン)に「向こうへ行っててくれ。死に顔は見られたくないんだ」と言って、事切れるシーンがあった。
 さようならは、痛み止めの麻薬を打ち始める前に、さりげなくしたいものだ。Nさんのように。
 棺桶の蓋をする直前、私は席を立って、一足早く、葬儀場を後にした。
 なみだ雨が、もの凄い土砂降りになった。さすが、Nさん。合掌。
 

 
 

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