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2013年10月6日 / misotukuri

「ミステリガール」読了-シリーズ化なら結末を変えた方がいい

 「ミステリガール」(デヴィッド・ゴードン著)読了した。
 アメリカより日本でより話題になった「二流小説家」の作者によるミステリ第二弾。
 「二流小説家」は、「このミス」など日本の翻訳ミステリの各種ランキングで去年のベスト1になった作品で、面白かったことは事実。
 だが、こういうミステリが本場アメリカ以上に評価される日本のミステリ読書層の幼児性に何とも辟易したきっかけとなった作品でもある。
 要するにロリコン趣味と言うことだが。
 しかし、この作家、大きく化けそうなので、次作のこの「ミステリガール」も読んでみた。
 して、この「ミステリガール」、読後の評価はどうなんだろう?
 駄作か?
 そうとも言える。
 何か、どっかであったなと思わせるところが多すぎるのだ。
 前作よりまだ素人っぽい。
 たとえば、映画「めまい」(原作はポワロ=ナルスジャック)を思わせるトリック、映画のモキュメンタリー的蘊蓄は「フリッカー、あるいは映画の魔」(セオドア・ローザック)を思わせる。
 また、安楽椅子探偵は、レックス・スタウトの「ネロ・ウルフ」を思わせるし、最後の手紙は日本の何だっけ忘れたが何とかに似ている。
 (なお、車椅子探偵ではレイモンド・バーの「鬼警部アイアンサイド」が面白かった)
 前作と比べるとやや独創性が不足している。
 もっとも、登場人物の組み合わせは好ましく、読者からはシリーズ物としてやってくれという期待も高まっているのではないかと思う。
 他ならぬこの私も、この無名作家である主人公サム、安楽椅子探偵のローンスキー、レンタルビデオ屋のマイロ、元女優のニックのメンバーでシリーズ化して欲しい。
 ただし、それにはこの「ミステリガール」のラストで主要人物の一人が死んでしまうので、この結末だけは変えた方がいいのでは?と思う。
 第一、最後の手紙の独白の主は、自分の死を予期しているのだから、それに一連の事件の真犯人は、その動機からして、犯行の生き証人である手紙の主を最後の最後まで生かしておいたとしても、用済みとなればまず何を置いても真っ先に殺そうとするのが必然と思うからだ。
 この結末はいただけない。
 作者が主人公をして語らせる小説作法から言っても、とってつけたような不自然さだ。
 私なら、結末を書き直させるね。
 では。

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