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2013年10月29日 / misotukuri

「スタンリー・キューブリックの秘密の箱」-こだわる監督

 先ほど、ザ・シネマで記録映画「スタンリー・キューブリックの秘密の箱」(08年、英、ジョン・ロンソン監督、アンソニー・フルーウィン、ヤン・ハーラン、クリスチャン・キューブリック他)を見た。
 キューブリックは私の大好きな映画監督で、その割にはあまり見ていないのだが、それでも彼の映画を見るたびショックと影響を受けてきた。
 私が好きなのは、やはり、「2001年宇宙の旅」だが、そのほかにも、「時計じかけのオレンジ」、「博士の異常な愛情-私は如何にして心配することをやめ水爆を愛するようになったか」や「アイズ・ワイド・シャット」などはスゴイなと思いしばらく夢中になった。
 「2001年宇宙の旅」は、結末がわからなくて、後からアーサー・C・クラークの原作を読んだが、これもまた傑作だった。
 「時計じかけのオレンジ」は、最初徳島ホールで見たとき、体調が悪かったせいもあるが、途中で寝てしまい、よくわからなかったので、後日、もう一度見直したところ、傑作だとわかった。
 特に「雨に唄えば」を鼻歌で歌いながら蹴りを入れるところとか、アホが見たらマネしそうで怖いね。
 原作者のアンソニー・バージェスが気になって、「見込みない種子」を読んだが、内容は退屈だったこと以外、忘れた。
 「スパルタクス」や「シャイニング」は、キューブリックの名前も知らずに見たが、積極的にもう一度見たいとは思わなかった。
 とくに、「シャイニング」は、私の小説を読んだイメージとはだいぶ違っていたせいでもある。
 原作は長らく絶版状態になっていたが、ようやく文庫本で読めた直後に映画を見たからだろう。
 スティーヴン・キングの怖さって、こんなもんじゃないだろ!と思った。
 「博士の異常な愛情または私は如何にして心配することをやめ水爆を愛するようになったか」は、私の記憶では、ポスターが「博士の異常な愛情または余は如何にして心配することをやめ水爆を愛するようになったか」だったように思うのだが。
 当時、世界一長い題の映画と言われたが、その後、「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」(67年、英、ピーター・ブルック監督、パトリック・マギー他)によって、それは更新された。
 しばらく、長い題名をつけるのが流行っていたが、やはり、記憶に残るのは、作品の内容次第だと思う。
 題名はともかく、ピーター・セラーズが一人三役をこなして快演する一大傑作だ。
 意味深なので、単に冷戦時代の核ゲームの恐怖を描いたものというだけにとどまらない予見的な作品だ。
 「アイズ・ワイド・シャット」は、底知れぬ恐怖を感じる映画だね。
 これが最後の作品となったが、彼の作品全部に流れているのは、恐怖かな?と思うようになった。
 「ロリータ」は、主演のスー・リオンが自分よりだいぶお姉さんだったことから、世に言うロリータ・コンプレックス(ロリコン)の元になった少女にはとうてい見えず、そういう趣味に染まらないで済んだ。
 「非常の罠」か「現金に体を張れ」のどちらかは見ているはずだが、記憶が定かでない。
 「突撃」と「フル・メタル・ジャケット」は、この記録映画を見て、」やっぱり見なければと思った。
 こういう映画を撮った監督が残した膨大な量の箱にネタがぎっしり詰まっている。
 門やドアや帽子やようするに何でもなんだが、映画のワンシーンに使う為に集めた膨大な量の写真や調べ物を指示するメモ、ファンレターから自作の広告まできれいに整理整頓されている。
 そして、それらにまつわる話を聞くと、キューブリックのフェティッシュな異常さがよくわかる。
 キチガイと天才は紙一重と言うが、彼の場合、しかし、それはやはり天才ゆえのことだと思う。
 常人にはうかがい知れない事ながら、それによって数々の傑作が生み出されてきたのだからね。
 彼を批判するのが馬鹿らしくなる。
 何しろ、天才だもん。

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