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2014年1月13日 / misotukuri

「フリンジ4」にみるタイム・パラドクス悲劇の解決法

 相変わらず「フリンジ」を見ている。
 今はシーズン4の#14話「発動」を見たところ。
 長年タイム・パラドクスの解決法を考えてきた私としては、なかなか面白い展開になってきた。
 初心者には、タイム・パラドクスの説明からしなくてはならないのだが、面倒くさいので、省略する。
 私の話について来られない人は、ハイ、ここで、さようならだ。
 我々の思考の方向性を決める世界観には、大きく分けて決定論的世界観と確率論的世界観がある。
 20世紀に入ってハイゼンベルクの不確定性原理の発表以降は、確率論的世界観が決定論的世界観に取って変わったと思う。
 世界観の静的なモデルから動的モデルへの転換だ。
 タイム・パラドクスも決定論的な世界観だから発生する問題だが、パラレル・ワールドという確率論的世界観で考えるとパラドクスは起きない。
 しかし、その代わり、慣れるまで堪え忍ばなければことがいろいろとある。
 例えば、それが、ピーターとオリビアの問題だ。
 これも、厳密に言うと、ピーターBとオリビアCの問題なのだが・・・
 何、わからない?
 わからなけりゃ、ハイ、さようならと言っただろ!
 だが、まあ、最低限、理解しやすいように抽象化してお話ししよう。

 あなたは、時空を横切り、仮にあなたが存在しないもう一つの世界に現れたとする。
 その世界でのあなたは幼いときに事故死しており、大人のあなたを知る人は誰一人いない。
 そして、あなたの恋人はあろうことか他の人の恋人。
 あなたは、そのことに大いに傷つくが、これは異なる時空に闖入した自分が悪いと思い直す。
 つまり、目の前のこの人はDNAレベルでも自分の恋人そっくりだが、自分の知っている恋人ではないと折り合いをつけるのだ。
 ところが、原因は不明ながら、いつの頃からか、この世界の恋人があなたの世界の恋人の記憶を持つようになる。
 そして、やがてこの世界の恋人本来の記憶を駆逐してしまう。
 この世界での他人の恋人は、今やあなたの元の世界の恋人となってしまったのだ。
 では、身体も記憶も同じなら、あなたの元の世界の恋人と、この世界の恋人は同一人物なのか?
 魂が違うぞ、なんて突っ込みを入れないでくれよ。

 どうですか?
 私は「フリンジ4」を見るまでは、こういう場合、厳密には同一人物ではないが、同一人物だと見なすことに耐えるべきと考えていた。
 この世界のオリビアが「そのことに慣れなくては」と言うように。
 オリジナルかコピーかという問題は、昨日の自分が今日の自分と同じであって違うということを考えるとどうでもいいように思えるからだ。
 しかし、制作総指揮のJ・J・エイブラムスは、それに「違う!」と考えるのだな。
 「きみは、オレのオリビアの記憶を持っているに過ぎない。オレは自分のウチに帰る」とピーターに言わせるのだ。
 うーん、面白い。
 どうなるのだろう?J・J・エイブラムスの解答が待ち遠しい。
 私の友人であるIさんによればそれは、ズルイ解決法で一般化できるものではないと言うが・・・

 だいたい、ピーター自身がオリジナルでないのに、恋人のオリビアにはオリジナルを要求するのはおかしいよね。
 目の前のそっくりさんの恋人の肉体と記憶が、オリジナルの恋人のと同じなら、これもオリジナルと考えて、ありのままを受け入れたら良いと思う。
 しかし、確かに、その場合、問題が一つ残っている。
 それは、オリジナルの世界に、やっぱり、オリジナルの恋人がいて、今なお、自分の帰りを待っているとしたらだ。
 Aの世界にピーターBの恋人オリビアAがピーターBの帰りを待っていて、Cの世界にはピーターBとオリビアAの記憶を持つオリビアCがいる、としたら困ったことになる。
 昔のロバート・A・ハインラインの「夏への扉」では、そういう多元宇宙(パラレル・ワールド)の可能性はないと信じたいというところで終わっている。
 しかし、今はまさに、そのパラレル・ワールドでのタイム・パラドクス悲劇のことを考えているのだ。
 パラレル・ワールドでは、タイムトラベラーにタイム・パラドクスは起きない。
 パラドクスが起きない以上、何をしてもかまわないが、それで目の前の世界が元の世界と違ったものになろうと、タイムトラベラーが消えた以外に元の世界自体は過去も含めて何も変わらることはない。
 パラレル・ワールドでは、結局のところ、タイムトラベラーは別の可能性の時空に行っただけなのだ。
 とすれば、パラレルワールドでのタイム・パラドクスの悲劇とは、本当の過去は変えられないのに、それをあたかも変えることが出来たと自分自身を思い込ませる必要があるというところにある。
 これを解決する方法は、確率論的世界観の修正しかないだろう。
 <追伸2014.1.19>
 4の#15で示されたタイム・パラドクス解決法は、どうやら、愛は世界を救うみたいになったね。
 ちょっとガッカリだ。
 映画「Loorer/ルーパー」では、過去を変えると記憶が徐々に変わっていくシーンがあったが、やっぱりああいう解決しかないのかな?
 過去の自分に戻りたいと思うかどうかは、今の自分に比べて過去の自分がどうかに懸かっている。
 決定論的世界観と確率論的世界観を統合すると、我々のこの世界というのはPCで言えば、ハードディスクの中のシミュレーション・ゲームの履歴みたいなものだ。
 我々はその中の登場人物なのかも。
 過去や現在や未来と言っても、それはあくまでゲーム世界の中での因果律に基づくものに過ぎない。
 それは過去から現在、そして現在から未来にかけて、確率論的な多様性の幅を持ちながら既に決定されている。
 スタートがあってエンドもあるのだが、登場人物には観測不能のところで超巨大な時間のループになっているのかも知れない。
 PCのプレーヤーはある程度の自主性を登場人物に持たせており、プレーヤーがいちいち関与しなくとも登場人物がオート・プレイしてくれる。
 プレーヤーが何度も同じゲームをする度に過去・現在・未来はゲームの設定によって変化していくが、登場人物はこれが何回目かのゲームだとは気がつかない。
 だが、それも設定次第で、やり直しがきく機能がつけられていると、登場人物にはあたかもタイムトラベルしたようなことにもなる。
 そして、たとえ、この世の中が、実はPCのシミュレーション・ゲームだったとして、自分もその中の登場人物に過ぎないとしても、タイム・トラベルをする度に自分の記憶まで更新されるとしたら、人生は一回限りのものであるという結論に変わりはしない。
 何故なら、決して本当の自分の記憶の中の過去には立ち戻れないのだから。
 

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