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2014年1月19日 / misotukuri

映画「戦場のメリー・クリスマス」にみる階級格差は意図的か?

 先日、WOWOWで映画「戦場のメリー・クリスマス」(83年、英・日、大島渚監督、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、トム・コンティ、ビートたけし他)を見た。
 この作品、実はこれが初めて。
 これまでも見る機会は常にあったが、まず長い、それに旧日本軍の捕虜虐待ものはもうたくさんという思いがあり、敬遠していた。
 しかし、大島渚の追悼放送ということもあり、まあ、もういいかと見てみることにしたのだ。
 それでどうだったかと言えば、日英合作映画としては、よく撮れている方じゃないかな?
 だけど、正直、想像を超えるものではなかったね。
 それにこんな事言う人間が過去にいたかどうか全然知らないのだが、気になったことがあった。
 これはもちろん創作だろうから、全ての設定は意図的だと言うことだ。
 あくまでその上での話だが、この映画を見て我々観客がどこまで公平な見方が出来るか疑問があるね。
 一点指摘したいのは、主要登場人物のうち、英軍捕虜の側は将校ばかりで、確か、大佐、中佐、少佐であるのに引き替え、日本軍側は、大尉と軍曹だということだ。
 英軍捕虜の俘虜長の大佐は、多分、上流階級で名門校出身。
 通訳のロレンス中佐は、田舎のウィンチェスター大学出身(ちなみに2013年度英国大学ランキング75位)。
 デヴィッド・ボウイの、セリアズ少佐も多分上流階級で名門校出身だ。
 彼らが何で東洋くんだりにやって来たのか?と思うかも知れないが、そこが人生に冒険を求める英国人気質の素晴らしいところ。
 一方、日本軍の坂本龍一俘虜収容所長ヨノイは大尉で、しかも2.26事件の決起将校達の仲間。
 ということは、生まれは多分、士族ではなく東北の貧農出身で、陸大卒だが傍流。
 ビートたけしの古参の軍曹は、当然、口減らしのため、軍隊に若くして入った農家出身だろう。
 そして、俘虜収容所配属ということは、軍隊組織の世知には長けているがあまり戦場向きではないタイプ。
 軍隊の階級でも、また、学歴と出身階級でも歴然とした格差がある。
 何故こういう格差を設定したのか、それを考えると、大島渚の考えることは、なかなか奥が深い。
 トム・コンティのロレンス中佐とビートたけしの軍曹の会話では、知性と教養の差が歴然としている。
 また彼は、日本兵に暴力を振るわれても、「個々の日本人を恨みたくない」と言う。
 この辺りも、もちろん人間としての品性の高さもあるが、やはり異文化を客観的に見られるだけの知性と教養の高さの表出と思う。
 この映画の主人公は、このロレンス中佐だろう。
 これは、彼の目を通してみた文化の衝突だな。
 だから、立場が逆転して、処刑を明日に待つ軍曹に別れを告げる時、「あなたもヨノイ大尉も被害者です。正義を信じた被害者。正義なんてどこにもないのに」とこの映画を総括するようなことを言う。
 英軍の将校達の発言はレベルが高くていかにもインテリ、日本軍の兵隊の発言はレベルが低くていかにもそこらのおっさん。
 日本軍の俘虜収容所長は尉官クラスの将校でそれなりの教養はあるが、当時の将校としてもかなりエキセントリック。
 いくら文化の衝突でもこれでは公平ではないだろう。
 何故、そういう設定にしたのか?
 階級などを同じレベルで張り合わせたら、日本軍の人間性のレベルがひどすぎて、言い訳のしようがなくなったかもしれないな。
 恐らくそうかもな。
 それでせめて階級を下げて、そういう人間が日本軍のトップにいたことの言い訳にしてる。
 だが、事実はそうではない。
 階級は同じでも、クズが多かった。
 だからこそ、日本は戦争に負けたのだ。
 旧日本軍の、そして今でも日本型組織の長所であり欠点でもある特徴は、超エスタブリッシュメント以外は、たとえ、ピラミッド型の組織であっても、それを構成する人間についてはフラットで平等だと言うことだ。
 だから、能力の適材適所ではなく、その組織に適応する度合いで頂点に上り詰めていく。
 こういうシステムが暴走すると、その組織は組織本来の目的を忘れ、自己目的的な人間に支配される、クソ組織になってしまう。
 旧日本軍がそれ。
 戦争に勝つための組織が、より多い恩給を貰うための組織になってしまった。
 この映画、他にも切腹する朝鮮人軍属がアイゴーと最後に言って打ち首にされるアイロニーなど、色々な見方が出来るいい映画だが、もう一度見ようとは思わないね。
 

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