Skip to content
2014年1月30日 / misotukuri

映画「歌え!ロレッタ愛のために」のなるほ度

Nさんのブログの詩を読んで、昨夜見た映画を少し理解できたような気がした。
まず、先に苦手な詩の感想だが、これは女性の詩かな?私も何かの研修で聞いたのを覚えている。    http://2948119.blog.fc2.com/
センチメンタルというか、自己憐憫に満ちていて、要するに「私を愛して。もっと愛して。だって、もうすぐ、死んでいくのだから」と言っているのだろう?
こういう誰もが持っている感情の奥深いところに直接訴えかけるのが詩というもので、女性がこれを読むと泣けてくるのなら、いい詩なんだろう。
そもそも、詩、それにメロディーをつけた歌というものは、結局、愛の様々な局面について語っていると思うのだ。
たとえ、取り上げているのが「孤独」であっても、それは「得られぬ愛への断念」であり、「抗議」であっても、それは「自分を愛するように他人を愛せよ」ということの置き換えだ。
昨夜見た映画「歌え!ロレッタ愛のために」(80年、米、マイケル・アプテッド監督、シシー・スペイセク、トミー・リー・ジョーンズ他)もまた、そのことを教えてくれる。
伝説のカントリー歌手ロレッタ・リン(Loretta Lynn)の半生を描いた作品だが、なかなかよく出来ている。
貧しい炭鉱夫の娘として生まれ、若くして結婚し、すぐに妊娠、たくさんの子供を産み、夫の浮気癖に悩んだ彼女は日々の生活の中で思ったこと感じたことをそのままに歌っていた。
ある日、その歌声に感心した夫が彼女をレコード会社に売り込むや、驚くなかれ、一気にカントリー歌手のスターダムにのし上がってしまう。
そして、当時、トップ歌手のパッツイ・クラインにかわいがられ、巡業を続けるが、過労でついに歌えなくなる。
これは、そういう彼女が夫の愛で再び歌えるようになるまでを描いた作品。
この邦題はよく出来ていて、誰がつけたのかと感心する。
ロレッタの初めてのレコーディングの時に、もう一つ雰囲気が出ていないのに気がついた夫のドゥーは、家で彼女がいつも歌っていたときのように子供たちを前に並ばせる。
ドゥーには、彼女は自分が愛する人を前にしないと歌えないのだと夫の直感でわかったのだ。
このシーンが一番この映画を象徴するところで、後でスターになったロレッタがついに歌えなくなる理由でもある。
そこをしっかり読み取った人なんだね、この映画の邦題をつけた人は。
シシー・スペイセクの歌も演技も本物顔負けで素晴らしかった。
なるほどアカデミー主演女優賞も肯ける作品だ。
原題は、「炭鉱夫の娘」(Coal Miner’s Daughter)で、1976年発表のベストセラーとなった自伝に基づいている。
最後に本人の歌声で聞いて貰おう。
http://www.youtube.com/watch?v=pM84OekHtAQ

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。