Skip to content
2014年2月4日 / misotukuri

マイクル・クライトンの遺作「マイクロワールド」を読む

 マイクル・クライトンの遺作「マイクロワールド」を読んでいる。
 ちょうど第一部を読み終えたところだ。
 これはPCに入っていた遺稿をリチャード・プレストン(「ホット・ゾーン」、「コブラの眼」など)が最後まで仕上げたもので、他者の手がほとんど入っていない同じ遺作の前作「パイレーツー掠奪海域ー」とは少し感じが違う。
 どう違うかというと、不思議なことに、逆に、よりクライトン的な感じがして、完成度が高い。
 「パイレーツー掠奪海域ー」は、本当にこれがクライトンの作品かと思うほど長い文章が続いていた。
 おそらく、まだ未完成で、彼が生きていたら、それからベストセラー風に文章を短く切って行ったのだろうと思う。
 この「マイクロワールド」では、その作業をプレストンが見事に果たしたのだろう。
 第一部では、最後の方で、大学の研究仲間に嫌われている男リックの大演説があり、それがなかなか面白い。
 ちょっと長いが、引用してみよう。(一つ一つの文章は短くて単純な構造となっていることに留意されたい。また、文章の長さが一つとして同じものがないことにも注意。もっとも、これは翻訳者の力にもよるが)

「・・・自然のいったいなにが、現代人をこんなにも恐怖させるのか?
 なぜ自然がこんなにも耐えがたく感じられるのか?
 それは自然が、徹頭徹尾、無関心だからさ。
 大自然は無慈悲で無関心だ。
 人間が生きようと死のうと、成功しようと失敗しようと、喜ぼうと苦しもうと、気にもかけない。
 それが人間には耐えがたいんだ。
 人間になどまったく関心を払わない世界の中で、どうやって生きていけるというのか?
 だから人間は自然を再定義する。
 母なる自然と呼んでみたりする。
 ことば本来の意味において、母なんていう要素はどこにもないのにだぜ。
 でなければ、樹々や空気や海に神性を与えて、そういった神々を家の中に祀り、護ってもらおうとする。
 人が神々を創造し、その加護を受けようとするのは、幸運、健康、自由などを得たいという願いからだが、なかでもひときわ大きな願いは-ぬきんでて切実な願いは-孤独から護ってもらうことだ。
 人間はなによりも、孤独から護ってもらうために神々を必要としているんだ。
 では、人間にとって、なぜ孤独はそれほど耐えがたいのか?
 人類という種は孤独に耐えられない。
 それはなぜか?
 その理由は-人類が ”子供” だからさ。
 しかし、人間がそうやって自然に奉ったイメージは、どれもこれも、まやかしにすぎない。
 ダニーはなにかというと、科学的言説が権力の均衡には有効というだろ。
 そして、客観的事実なんてものはない、権力者の見解こそが事実とされるという。
 権力は作り話を語り、人々はそれを真実として受け入れる。
 なぜなら権力は人々を支配するからだ、と。
 だけど、権力の均衡を司っているものとはなんだ、ダニー?
 そんな存在が感じられるか?
 大きく深呼吸して考えてみろ。
 どうだ?だめ?じゃあ、おれが教えてやろう。
 権力の均衡を司るのはな、その権力の均衡を常に維持するもの-すなわち、自然だ。
 大自然なんだよ。ダニー。人間じゃない。
 人間にできるのは、自然にしがみついて振り落とされないようにすることだけだ」

 長かったけど、引用全文、読み通していただけたかな?
 これって、死を目前にしたマイクル・クライトン自身が最後に到達した世界観というか、認識を述べているように思えてならない。
 ほう、マイクル・クライトンはそんな風に考えていたのか、と思うと同時に、多くの面で共感できる。
 まことにそのとおりだ。
 私も、こういった観点から、世の中の多様な問題について、考えているつもりだが・・・

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。