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2014年2月8日 / misotukuri

映画「ディヴァイド」でサバイバルを考える

 昨夜、映画「ディヴァイド」(12年、米、加、独、ザヴィエ・ジャン監督、ローレン・ジャーマン、マイケル・ビーン他)を見た。
 テロか戦争かは不明だが、突然、核爆発に見舞われたNYはブルックリン地区のとあるマンションの地下シェルターが舞台。
 突然余儀なくされた避難生活で、そこに居合わせた9人の男女達が繰り広げるサバイバル物語だが、一昔以上前なら絶対にここまで描かない地獄図絵が繰り広げられる。
 そして、最後に生き残るのは誰か?
 やっぱりね、ではあるのだが、登場人物の人間描写が非常に良く出来ているのに感心した。
 これは、極限状況下での人間の心の弱さをえぐる終末SFの傑作だ。
 
 ここから先はネタバレ。
 この映画で、サバイバルというものを考えてみよう。
 まず、このマンションの地下シェルターだが、管理人室を改造したようなちゃちなものだね。
 そう深くなくて、せいぜい半地下から地下1階くらいだろう。
 私も昔1年ほど地下の駐車場で働いたことがあるので、地下シェルターの雰囲気はよくわかる。
 停電時の電源の心配は、こういうビルディングだと、たいてい自家発電装置があるので、燃料タンクの燃料が続く限り大丈夫だ。
 地下シェルター内だけの供給に使う電力なら大したことないので、48時間どころか一年くらい大丈夫だろう。
 しかし、自家発電装置を運転していると、エンジン音とか排気ガスが外部に漏れ出るので、もし外に敵がいて生存者を見つけては殺しまくっているという状況だとヤバいことになる。
 このマンションの管理人は、妻子と別れて地下の管理人室でひっそりと暮らしている変わり者のようで、彼一人なら1年くらいは生存できるだけの食料などの備蓄をしていたようだが、9人もいるとそれも9倍早く底をつく。
 途中で、核防護服に身を包んだ兵士たちが入ってきて、一人いた子供だけさらって行く事件が起きるが、恐らく、子供だけ助け、後は殺すつもりだったのだろう。
 それで戦闘になり、地下シェルター側の一人が撃たれて負傷するが、兵士を一人殺して、撃退する。
 災害だと外界から来る人間は救助に来た人間と思ってまず間違いないが、この映画のように、テロや戦争による災厄だと、必ずしもそうとは限らないということを心得ておく必要がある。
 白髪に免じて許して欲しいが、私は災害で身体の不自由な老人を助けるために健康な若い人が命を落とすようなことはあってはならないと思うのだ。
 老人を助けようとする若い人の気持ちはありがたいが、どっちかが助かるとしたら、若い人に助かって欲しい。
 老人は後回しでいい。
 私など、自分でサバイバルできなければ、それまでとあきらめているので、ほっといてくれと思う。
 地下シェルターで食料がそろそろ尽きかけてきたとき、殺した兵士の死体をどうするかが議論になってくる。
 昔、「アンデスの聖餐」という事件があった。
 冬のアンデス山中に墜落した旅客機の生き残りが乗客の死体を食べて生き残ったという実話だ。
 西村寿行の「わが魂、久遠の闇に」は、飛行機事故に遭った妻子を食べられてしまった男の復讐譚だが、この人肉食の描写がすさまじく、生き残った人間が立派な人間ならまだしも、生きる価値もないような下劣な人間だった場合、遺族はたまらんだろう。
 地下シェルターでの議論は、誰がそれをするか?ということで、行き詰まるのだが、「誰かがやらなきゃならないんなら、オレがやってやる」と一人が志願することで解決する。
 彼は、「オレが死んでも、みな食べてくれ。全部だ。けど、ナニだけは食べるなよ。ナニはダメだ」と言う。
 そして、解体シーンがあり、この辺りから、彼らは一線を越えてタガが外れたのか、次第に理性を失って壊れていく。
 まあ、こういうことが必ず生じてくるから、世捨て人のサバイバリストの管理人は、誰も助けたくなかったのだろう。
 しかし、もう遅すぎる。
 仏心が仇(アダ)となって我が身に降りかかってきたのだ。
 この地下シェルターに逃げ込んだ人間のほとんどが生き残る値打ちもないクズ人間ばかりというのも面白い。
 唯一人のまともな人間は、真っ先に負傷し、何の力も発揮できないという設定は、こういうサバイバルものではよくある設定だが、現実にも大いにあり得ることだ。
 というより、むしろ防災では、そういうことも想定していなければならないだろう。
 見渡す限りの大森林地帯で現地の道案内人が真っ先に心臓麻痺で急死してしまって立ち往生する小説「魔性の森」(ハーバート・リーバーマン)とか、映画「脱出」(ジョン・ブアマン監督)のように初めて激流下りに来た友人を引率する超ベテランが真っ先に狙撃され重傷を負ってしまい逆にみんなのお荷物になるとかは、単にフィクションの世界の話ではない。
 私自身、県南の杉林を査定するチームに同行したとき、当日、頼んでいた道案内人が急に来られなくなって、しかたなく地図と磁石を頼りに境界の杭を探して雨やマムシや滑落の心配をしながら道なき道を一日歩いたことがある。
 道案内が来ないとわかった時点で、中止するかどうかの決断を迫られたが、十分気をつけて行こうということになった。
 いざとなると、引き返すという決断はなかなか出来るものでないとしたもので、よく事故が起きなかったものだと今でも思っている。
 事故が起きる最悪の場合を想定せよとか言われるが、そういう想定外のことが往々にして起きるから大事故になるのだ。
 だから、これは、むしろ、最悪の事態を覚悟して事に当たれということと理解したい。
 反省するのは自分が助かってからでいい。
 管理人は、自分の部屋の他に更に秘密の金庫式の頑丈なドアのついた倉庫を持っているのがバレて、拷問を受ける。
 管理人は人差し指を切り落とされ次は親指だと言われた時点でギブアップし、解錠ナンバーを吐く。
 拷問に耐え続けられる人間などいないというのがこの世の相場で、誰でも最後には必ずゲロするものだ。
 にもかかわらず、拷問に負けずに頑張るのは、時間稼ぎをするのでなければ意味がない。
 壊れていく人間達が、「真実か挑戦か」というゲームをするのだが、これがなかなか面白い。 
 相手から何かを得ようとするなら、たとえば「食料」を得ようとするなら、その前に相手の質問に対して「真実」を述べるか、相手の注文に「挑戦」するか、どちらか一つを選ばなければならないというゲーム。
 非常時には、平時の自己欺瞞や安逸をむさぼることから脱却しなければ、生き延びることは出来ない。
 『真実」を直視することを恐れず、やらなければならないことをやり遂げることに「挑戦」しなければならないのだ。
 だが、嘘つき女は「真実」を選び、腰抜け男は「挑戦」を選ぶが、用意されていた質問や注文はなかなかに優れて超難問だった。
 すなわち、女は、「お前はサム(婚約者)を愛しているか?」と聞かれ、「挑戦」を選んだ男(サム)は、「(さっきまで生きていた仲間の)死体を食肉用に解体しろ」と注文される。
 この映画、本当に人間描写が見事なまでに的確だ。
 ラストは、落ちたブルックリン橋からマンハッタンを眺めるところで終わるのだが、ホント救いがない。
 だが、もし、こういうことが本当に起きたら、大いにあり得る最悪の事態かもしれない。

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