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2014年2月16日 / misotukuri

映画「ロンドンゾンビ紀行」の最後に残るもの度

映画「ロンドンゾンビ紀行」(12年、英、マティアス・ハーネー監督、アラン・フォード、ハリー・トレッダウェイ他)を見た。

こっちも、風邪引いてまるでゾンビなのだが・・・

題名からして、お笑いゾンビものとわかる作品だが、原題は「Cockneys vs Zombies」で、大して変わらんか。

Cockneys(コクニーズ)とは、下町っ子というより、ロンドンの下層階級の言葉を喋る連中ということだから、この題名は、階級闘争的なニオイがプンプンしている。

では、ゾンビが、何を象徴しているかだが、これは一目瞭然だ。

ゾンビとは、生ける屍で、魂の抜け殻。

人間の肉を食いたいという欲望だけで彷徨している歩く死体。

要するに、いくら他人を食い物にしても飽き足らない資本主義下の人間の欲望そのものを象徴している。

ゾンビと戦うことになる下町っ子達は、銀行強盗をしていたのだが、いったい何故、そんなことをしたのかというと、祖父が入っている町の老人ホームが新しい都市開発で近々に立ち退きを迫られており、彼らにあげるためだった!

つまり、老人福祉に使うお金を、都市開発をしている悪徳建設業者がお金を預けている銀行、つまり資本家どもから奪うため、銀行強盗をしたのだった。

首尾良く、銀行から250万ポンドを強奪し、立ち去って逃げようとしたところ、行員の通報で警官隊に包囲されてしまう。

仕方がないので、男女二人の行員を人質にとって、銀行の外に出ると、何だか様子がおかしい。

実は、彼らが銀行強盗をしている間に悪徳建設業者の工事現場からゾンビが出て、みるみるうちに辺りはゾンビだらけになってしまったのだ。

銀行を包囲していた警官隊も大勢のゾンビに襲われて、噛みつかれ、肉を食い取られ、やがて彼らもゾンビと化してしまった。

銀行強盗達と二人の人質は協力し合って、次から次に現れるゾンビを打ち倒しながら、ともかくもアジトに逃げ込んだのだったが、・・・・というもの。

ゾンビが老人ホームを襲ったら?という設定は、しかし、なかなか秀逸だ。

椅子に乗ったゾンビも出てくるし、赤ちゃんゾンビも出てくる。

小野不由美の「屍鬼」に出てきた寝たきり老人の吸血鬼と同じ趣向だ。
これは、世の中には決して得られないものもあるという教訓か?

ついさっきまで堅固に見えた日常がガラガラと崩れ落ちてもなお、赤信号で止まったり、強盗を逮捕しようとする人間が出てくる。

環境の激変に柔軟に対処できないことを笑うなかれ。

自分の生き方なんて、この社会という枠の中ではじめて成り立っていたにすぎないということにどれだけの人間が気がついていただろうか?

あらゆる個性的な価値観が成り立っていた前提である社会が崩壊したとき、最後に残るのは、なんだろうか?

やっぱり、「愛」というやつかな?

この映画の結論は、ほとんど全編笑いまくっていたが、多分、そういうことだな。

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