Skip to content
2014年7月1日 / misotukuri

「アドラーを読む 共同体感覚の諸相」読了

ようやく「アドラーを読む 共同体感覚の諸相」(岸見一郎著)読了した。
続いて、同じ著者の作品を読もうと図書館に行って、2冊ほどパラパラッと見たが、同工異曲なのでやめた。
まあ、アドラーについては、何か一冊読めば良いだろう。
アドラーへの批判は、彼の提唱した「共同体感覚」が、要するに特定の価値観であることから、アドラー心理学は科学でないということに尽きる。
どちらかというと、哲学だ。
価値観を扱う学問は、宗教学、哲学、倫理学、文学、政治学、法律学、政治学等々であり、確かにいずれも科学ではない。
私は法律学を学んだが、その教科書の最初に「法律学は科学ではない」とあるのを読んで、SF好きの人間としては、少なからず落胆したものだ。
「心理学」というのは、正式教育として系統的に勉強したことがないので確たることは言えないが、人間の心理を研究する学問で、物としての人間の刺激に対する反応の仕組みを探求するものだと思っていた。
つまり、「心理学」とは科学だと。
だが、人間には一定の条件下で同じ反応を示す以外にも、必ずしもそうとばかりは言えないような、いわゆる「自由意志」に基づく反応がある。
それに、そもそも「自由意志」を認めなければ、上記学問はすべて成り立たなくなる。
上記学問のためにも人間には「自由意志」があるとしなければならないのだ。
(絶対神の下での「罪」などという概念は、矛盾しており、単なる間違い)
逆に、科学は対象の「自由意志」を認めない。
そういう世界があったら面白いが、まさに「発狂した宇宙」であり、法則性がなくなる。
物の世界には、「自由意志」がないのに、その物から生じた精神の世界には「自由意志」があるというのもおかしな話だが、それを前提に社会が成り立っているので、認めないわけにはいかない。
おそらく、社会が崩壊すれば、「自由意志」もなくなるのだろう。
アドラー心理学は、科学かどうかはともかく、もちろん「自由意志」を前提に成り立つ学問だと言える。
その意味で、宇宙の探求には役に立たないが、人生を善く生きる上で大きな示唆を与えてくれる学問だろう。
知的人間なら、知っておく必要がある。
では。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。