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2014年7月4日 / misotukuri

号泣野々村県議-泣くなアホ!女がヤジられて泣くのとどう違う?

 兵庫県の野々村竜太郎県議(47)が記者会見で号泣しながら持論を展開したことが話題となっている。
 持論の内容はともかく、まあ、少し前なら考えられなかったことだが、ついにタガが外れてしまった感じだな。
 「男は泣かない、女も武家の女は涙を見せない」-というのが、美徳であった時代はとっくに過ぎ去ってしまったようだ。
 このことについては、以前にも金正日が死んだときだったか「泣き女考」ということで、「泣き女」の民俗学的考察をしたことがあるので、それ以上は言わない。
 ただし、「男は泣かない、女も武家の女は涙を見せない」というのは、洋の東西を問わず、階級が上に行けば行くほど顕著に表れる現象で、「泣き女」などというのは下賤(差別用語らしい)の者の職業であるのは共通していたようだ。
 喜怒哀楽を表に見せることは、自己の感情のコントロールができていないことであって、他者に”弱み”を見せることになる。
 とにかく、戦いに勝つ基本は、敵の”弱み”を突くことにあるので、それは支配する側の人間にとってはマズイことなのだ。
 大の男が悔しさのあまり号泣したなどということは、最近ではボクシングという最下層のスポーツでもたまに見られることだが、大方の解説者はさすがにそれに対し厳しい目を注ぐ。
 (人前で)泣くなアホ!負けて泣くくらいなら、リングで死んでこい、というわけだ。
 しかし、男もすなるボクシングとやらを女もしてみんとてという時代になり、闘う者のメンタリティも変わってきているのかもしれない。
 先日の東京都議会の塩村あやか議員も、議会でヤジられて思わず涙が出そうになったと(泣いたことは否定した)言ったが、何故、泣かないのか?
 泣いてみせた方が、得なのに。
 何故、意地でも泣かないと思うのか?
 それは、溢れる涙を下の瞼で受け止めて、おっかさんだよと踏ん張る気持ちは、彼女も闘う女だからだ。
 昔、クライ・ベイビー・カノン(泣き虫小僧カノン=マンマウンテン・カノン=カナダの人間山脈カノン)と呼ばれたプロレスラーがいた。
 彼は試合中殴られたりすると赤ん坊のように泣き出すことで人気を得た。
 これは、泣いてみせることでいじめっ子に手加減してもらおうというギミック(策略・魂胆)をパロってみせたことで、それがわかる観衆にウケたのだ。
 これを本気で泣いたら、馬鹿にされる。
 いつの頃からか、結婚式でむくつけき新郎が感激のあまり泣いたりするようになったが、あれも私の世代の感覚では見苦しく、オマエな・・・と軽蔑する。
 どいつもこいつも、ホントに克己心(こっきしん)というものがないのか?
 では。

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