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2014年8月6日 / misotukuri

笹井芳樹副センター長の自殺は社会的他殺だ

 STAP(スタップ)細胞論文の主要著者の一人、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長(52)が、5日同施設内で首つり自殺した件。
 昨日、昼過ぎに古い写真をプリンタ複合機でスキャンしてPCに取り込んでいたところ、そういうニュースをネットで見て知った。
 正直、驚きはなかった。
 責任ある人間というのはこうやって自殺していくのだなと思った。
 心療内科で投薬を受けていたというのは、医者としては自殺などさせないようにするためだろうから、関係ないと思う。
 笹井氏は、医者の処方した抗うつ剤など飲むのはやめたりして、あくまで自分の意思で自殺したと思う。
 世の中的には、小保方晴子・理研ユニットリーダーとのスキャンダル云々などで追い詰められ、研究者としてもう終わってしまったから自殺したのだろうと受け止められるだろう。
 「疲れた」というのは、そういうことにしておきたいという表面的な理由だ。
 「自殺とは社会的他殺である」という話は、以前にもこのブログでしたことがあるが、笹井副センター長の場合も同じで、やはり、自らが犠牲となって何かを守りたかったのだろう。
 映画「ゴッドファーザー」のパート2だったか3だったか忘れたが、ドン・マイケルの腹心トム・ヘイゲンが敵ペンタンジェリに、「君は歴史に詳しかったね」とか言って、ローマ帝国時代のセネカ(だったか?)の例を引いて、自殺を暗に勧めるシーンがあった。
 哲人セネカは皇帝ネロの今で言うスピンドクター(spin doctor)であったが、謀反を疑われて、自害させられる。
 セネカの最後の言葉は、「ネロの残忍な性格であれば、弟を殺し、母を殺し、妻を自殺に追い込めば、あとは師を殺害する以外に何も残っていない。— タキトゥス「年代記」15.62」と言われている。
 セネカが家族の命を守ろうとしたのかどうか知らないが、ネロは後を追おうとしたセネカの妻の自殺を許さなかった。
  人が自殺をするときには、必ず何かを守ろうとするものだ。
 笹井氏の場合、それが、STAP(スタップ)細胞なのか、あるいはSTAP(スタップ)細胞の存在を信じた(としておきたい)自分の名誉なのか?
 それとも、理研という組織とか、その他のことなのか?わからない。
 天才や偉人、ようするに凡人でない人間たちというのは、功成り名遂げて天寿を全うし静かにこの世を去るというのは、まず少ない。
 だいたい、皆、陸(ろく)な死に方をしていない。
 自殺率も高いのでは?
 その点、凡人には、本来あえて自殺しなければならないほどの理由というのはないのだが、年間3万人も自殺者が出る中で(その中には実際は他殺もあるだろうが)、彼らの心境に思いをはせれば、たぶん、自分を取り巻く境遇とそこにいる自分という存在を潔しとしない自愛感情に満ちあふれているのではないか?
 それにしても、元々自殺願望を抱えていたのかもしれないが、ある種の人間というのは、追い詰められると、思い立ったようにパッと簡単に自殺してしまう。
 そういう何かが欠落したような短絡的な性格の研究とか統計というのがあれば知りたいものだ。
 笹井副センター長を悼む気持ちは正直ない。だって、関係ないもんね。
 では

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