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2014年8月21日 / misotukuri

映画「インファナル・アフェア1/2/3」-善人(悪人)であり続けるのは難しい度

  昨夜は、映画「インファナル・アフェア無間序曲・無間道2」、今夜は、「インファナル・アフェア3終局無間・無間道3」を見た。
  これで「インファナル・アフェア」三部作全て見たことになる。
  やはり、一番ショッキングだったのは、1かな?
  2は、前日談だが、フィルムノワール作品としては良く出来ているが、前日談としては破綻している。
  あげつらうことはいくらでも出来るが、根本的におかしいのは、黒社会を仕切っている大ボスが異母兄で、その組織に潜入するヤンの動機が「善人(警官)でありたいから」というのは、いくら何でも弱すぎる。
  ただし、真の動機が何であれ、「このまま続けるとそのうち黒社会のボス(つまり、悪人)になってしまうよ」と冗談めかして告白したシーンはスゴいなと思った。
  3は、警察に潜入し、黒社会のボス・サムの手下であることを隠して、上手く危機をすり抜けてきたラウが、主人公。
  彼は、悪人(ヤクザの内通者)であり続けることに疲れ、善人(本当の警官)に生まれ変わろうとするのだが、それには自分の過去を消す必要があった。
  だが、彼は自分の過去を消し去ろうとしている内に少しずつ精神に異常を来していく。
  3は後日談だが、作品としても1や2を見ていないとわからないところがあり、後日談としても無理がある。
  ただし、3まできてこの「インファナル・アフェア」三部作のテーマははっきりしてきた。
  悪の中にも、黒社会のボスサムのように、人間として精一杯生きている魅力的な人物もいれば、友のためには命までも張る男気のあるいい奴であるバカのキョンとか本質的には善人がおり、善の中にも、暗い過去を隠し、警官(善の側に立つ人間)であることを心の支えにしなければついミイラ取りがミイラになりそうな潜入捜査官や組織犯罪を憎むあまり、ついやり過ぎて、法を守るべき人間が違法なことをしてしまうウォン警部など、悪をなす人がいる。
  つまり、この三部作のテーマは、善人とは何か?悪人とは何か?ということだろう。
  生きるため悪をなす善人もいれば、善人になりたくて善をなす悪人もいる。
  彼らを批判できる立場って何だろう?
  なかなか、ないよね。
  しかし、あくまで、人間として、踏み越えてはならない一線はある(と考える)。
  とかく、善人にせよ悪人にせよ、そうであり続けるのは難しい。
  では。

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