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2014年10月5日 / misotukuri

映画「エリジウム」のあり得る未来とあり得ない結末

 昨夜、映画143:「エリジウム」(13年、米、ニール・ブロムカムプ監督、マット・デイモン、ジョディ・フォスター他)を見た。
 去年封切りの話題作なので、ご覧になった方も多いかと思う。
 前回、映画141:「パンドラム」でも書いたが、SF映画というのは、舞台の設定が一番大事で、これがもっともらしくないとつまらない。
 その点、この「エリジウム」は、まずは合格点をあげてもいいだろう。
 時は、22世紀中頃、地球は人口爆発で荒廃していた。
 超富裕層は、スペース・コロニー「エリジウム」に移住し、静止軌道上から地球を支配していた。
 そこでは、高度な科学技術によって市民は傷病から解放され、水と緑にあふれた理想郷での暮らしを享受していた。
 一方、荒廃してスラム化した地上では、人々は過酷な労働とエリジウムより遥かに制約の多い医療やドロイドによる厳しい監視に喘いでいた・・・
 これだけで、まず、資本主義の最終段階にいるということがわかる。
 全ての資本家の目的は、コンチェルンを作りあげ、新しい王侯貴族となること。
 そうなれば、もはや利益率であくせくする段階は過ぎて、市場占有率を維持すること自体が問題となる。
 そうなった超富裕層の彼らは、富の簒奪の対象となっていた地球上が人口爆発や環境汚染で居住に適さなくなると、必然的に地上を天から支配したいと思うようになる。
 自己愛のサイコパスにはまるで自分が神になったような気分になれるし、合理的な決断でもある。
 人口爆発と環境汚染を解決するのは、閉鎖系では原理的に無理なことなのだ。
 宇宙開発は経済的にペイしないという議論があるが、それは近視眼的な物の見方で、地球の人口爆発と環境汚染を解決するには、人類の開放系である宇宙への移住しかないのだ。
 また、それにはこういう超富裕層のような富の簒奪の段階を既に卒業した者達の支配欲を刺激することによってしか実現の方法はないと思う。
 この映画はそういう意味で、非常に予言的で、あり得る未来像だと思う。
 しかし、一方この映画のモチーフは非常にリベラル的で、それは富の民主的かつ万人に平等な再配分ということにある。
 この映画の解決法では、ひょっとしたら人類の宇宙植民の突破口になるかも知れないが、あの結末は、やはり再配分であり、限りがあることで、やがて行き詰まってしまうあり得ない結末だと思う。
 いつまでも目先のリベラル的な富の再配分にこだわっていては貧困の拡大再生産になってしまうだけだろう。
 この映画、設定は一つ一つなるほどと思うほど良いのだが、モチーフがさっぱりだと思う。
 では。

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