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2014年10月15日 / misotukuri

エボラ出血熱-倫理でどうなるもんじゃない

 アメリカやヨーロッパに連れ帰ったエボラ出血熱患者の二次感染がついに発生し、エボラ・パニックが起きるのも時間の問題となった。
 アフリカでエボラ出血熱の封じ込めに努力されていた人がエボラ熱に感染したのをむざむざ見捨てるわけには行かぬと母国に引き取ったのは倫理的にもさすがまことにご立派な心意気を示したものだと思うが、事は倫理の問題ではなかった。
 そもそも、こういう伝染病や生物化学兵器のテロなど、そういう倫理などという自己満足に過ぎない甘ったれたことをして、事態を悪化させてしまうべきではないのだ。
 現地に支援に出かけた医療関係者は、全員、二次感染の危険性を十分に認識し、もしもの時の覚悟は出来ている。
 TVドラマ「ボディ・オブ・プルーフ 死体の証言」にエボラ出血熱のテロを扱った話があった。
 あれは検屍局の局長自身が二次感染してしまい、他の患者と一緒に隔離され、死を待つのみとなるのだが、主人公の検死官ミーガンは、効果がある可能性は高いがまだ臨床試験が終わっていない未承認のワクチンを真っ先に局長に使ってくれとCDC(アメリカ疾病管理予防センター)の責任者に掛け合う。
 それを使うことはCDCの責任者にとっては、その世界から追放され・キャリアは終わりとなるのを意味するのだが、彼は自分のキャリアよりも人命を救える可能性に賭けて未承認ワクチンの使用を決断する。
 つまり、彼は自分の職業上の倫理的満足を得ることよりも優先すべきもっと大事なことがあると考えたわけだ。
 こういうことが今欧米では現に起きている。
 献身的にエボラ出血熱撲滅に努力した人々は絶対に見捨てないという決断は極めて倫理的なもので、たとえそれによって結果的に二次感染が起きても、それはそれでご立派なこと。
 一方、エボラ出血熱に効く可能性がある未承認薬を使用する反倫理的な決断をするのもご立派だ。
 ようするに、こういうことは倫理の問題ではないと言うことだ。
 正しい決断は、誰にとって倫理的であろうがなかろうが、エボラ出血熱が発生した現地で、患者にいち早く未承認薬を投与してみることだった。
 時に立派な人は立派であるがゆえに誤った判断を下すことがあるという好例だ。
 では。

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