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2014年11月17日 / misotukuri

「高い砦」-この傑作が映画化されない理由(わけ)

「高い砦」(デズモンド・バグリィ著)ようやく読了した。
気にはなっててもなかなか読む機会がなくてそのままになっている本というのがある。
これもその一つだった。
内藤陳も死んでもうじき3年になるが、ホントにこれも「読まずに死ねるか」の一冊だね。
どうしてもっと早く読まなかったのか?
今は面白かったというより、読み終えた満足感で胸一杯という感じかな?
次々、こういう積ん読本を片付けていかなければならない。
だが、せっかくだから読後感想を少ししておこう。
この手の導入部の手法は、今では当たり前となっているが、バグリィあたりが始めたのではなかったかしらね。
確かに、一体これからどうなるのだろう?という興味をかき立てる点でやっぱり面白い。
緊急代替機であるポンコツDC-3ダコタ旅客機がハイジャックされ、アンデス高地の放棄された私設飛行場に不時着させられるが、当の犯人が不時着したときの衝撃で真っ先に死んでしまう。
現実にこういうことが起きたら、なんだ、こりゃ?だよ、ホントにもう。
生き残った乗客数名とアル中のパイロットが、どこともわからない氷雪の高地で、身を切る寒さと高山病や飢えと戦いながら、皆で何とか力を合わせてサバイバルしようとしているところへ、何者か不明の集団の襲撃を受ける。
その集団は機関銃やら迫撃砲まで持っていて、こちらはピストルが一丁キリ。
まさに絶体絶命の大々ピンチで、生き残るのは、こういう場合、どう考えてもほとんど不可能だよね。
これはそういう設定の中に、いきなり登場人物を放り込む手法だ。
生き残るための資源がほとんどない中で、現在の危機に全く役に立ちそうもない知識しか持ち合わせていない登場人物が思いもかけない打開方法を提案する。
これは冒険サバイバル映画の古典「飛べフェニックス」(ロバート・アルドリッチ監督)でも使われた手法だ。
ところで、「男の中に熱い血が流れる限り不可能ということはない」という台詞が有名なこの名作中の名作が何故映画化されなかったのか?
私は、これはあまりに政治的すぎたからではないかと思う。
この小説が出版されたのは、1965年。
東西冷戦のまっただ中。アメリカがベトナム戦争で北爆を開始した年でもある。
その2年後、南米のボリビアで、チェ・ゲバラが処刑される。
確かに、こういう状況下で、反米に傾斜していく南米を舞台に共産主義者を悪の権化のように描く冒険小説が映画化できるとは思えない。
バグリィはこの小説の中で、南米の政情不安にアメリカが介入するのは結果的に反米感情に火をつけるだけだと警告している。
しかし、そういう警告ゆえに、ハリウッドでは、逆に映画化には馴染まなかったのだろうと思う。
ハリウッド以外なら、尚更無理だ。
たぶん、それは今でも同じだろうと思う。

今では共産主義に対する状況は変わったと思うが、それでもリベラル色が強いハリウッドで共産主義を敵視する政治的映画ができるとは思えない。そうではないのが奇妙に共通している。
これはホント何なんだろうと思ってしまう。
では。

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