Skip to content
2014年11月26日 / misotukuri

映画「殺しのナンバー」ー職業選択時の覚悟度

 昨夜、#167:映画「殺しのナンバー」(12年、米・英、カスパー・バーフォード監督、ジョン・キューザック、マリン・アッカーマン他)を見た。
 これって、あんまり思想性はないけど、第一級のサスペンス映画だね。
 まず、アイデアがなかなかのもの。
 オープニング部分で、短波で発信される数字(つまりナンバー)による暗号無線は発信地の追跡が不可能で、当局はその存在を否定しているが、現在でも使われている・・・とかいう字幕が出てくる。
 これひとつで、ものすごくミステリアスな雰囲気に包まれてしまう。
 そして、深夜、車の中にいる二人組の男たちの場面となり、そのナンバー通信による指令を受けた助手席の男(ジョン・キューザック)が暗号表の紙切れに数字を書き写していき、その指令内容を理解すると、その紙を引き破って燃やしてしまう。
 それから彼はドアをあけ、相棒に「10分だ」と言って、外に出て、とあるバーに向かう・・・
 そこで観客の期待通り殺しが行われ(とまあ、こういうのがサスペンスのテクニック)、彼が淡々と冷酷非情な殺人を行うある組織の殺し屋(ヒットマン)だと観客の頭に印象づける。
 そういう殺し屋の彼が、非常になりきれずトラウマを抱えてしまう事件がその後直ぐに起き、その結果として彼は無線基地に左遷されることになる。
 ここまででわずか10分くらいだろうか?
 見事と言うしかない導入部で、多分、その無線基地で、今度は彼が狙われる事件が起きるのだろうなという予感(これがサスペンス)をかき立ててくれる。
 この映画、あちこちにちりばめられた細かい描写に優れ、この監督の技量に脱帽する。
 まさに、B級傑作だ。
 ところで、彼とペアを組む送信員の女性が危機に陥って、パニックを起こしかけたときに彼が言う言葉が面白い。
 互いに相手のプロファイル分析をして非難の応酬の後だったか先だったか忘れたが、こういう普通でない仕事を選択するときに、こんな事態になるのもあり得ると覚悟しておくべきだったとかいうようなことだ。
 職業選択時の覚悟ともいうべきものだが、まあ20歳そこそこで普通そこまで考えたり出来るものでない。
 このセリフは、自分の才能に得意になっていた人間が危機に陥った時にしっかりしろとドヤす言葉だが、女性には冷たく聞こえるかもしれないね。
 自分の職業に伴う危険性の認識なんて、経験を積む過程で次第にそういう覚悟が出来てくるものだと思うし、第一その前に殺されてしまうかもしれないしね。
 何事もそういう危機をいくつか乗り越えて初めてベテランになっていくものだ。
 しかし、これも、ハードボイルドの名台詞「強くなければ生きて行けない、優しくなければ生きる値打ちがない」そのものだね。
 -善き人間は、非情は理解しても慣れることは出来ない-という教訓でした。
 では。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。