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2015年1月8日 / misotukuri

映画「叫びとささやき」ー見方もいろいろだ度

 録りためたVHSテープを処分していて、一応、見てから捨てようと思った映画を見た。
 VHSデッキがあるので、あわてて捨てることもないのだが、今のTVで再生しても画質がなあ・・・と思ってたら、意外ときれいに映った。
 BSの録画だからかも知れないが、よくわからない。
 その映画は「叫びとささやき」(73年、スウェーデン、イングマール・ベルイマン監督、イングリッド・チューリン、ハリエット・アンデシェン、リヴ・ウルマン、カリ・シルヴァン他)。
 この映画、見たかも知れないのだが、忘れてしまった。
 まあ、これは、ベルイマン好きでなければ、面白くないだろうね。
 上流階級の三姉妹(外交官の妻の長女、病弱で独身の次女、商人の妻の三女)と二女の召使いの女の四人の視点で話が進んでいき、最後に客観的な視点で終わるのだが、最初はそれがよくわからず、多分、不治の病に伏せっている次女が一応主人公なんだろうと思っていた。
 ところが、その次女ったら、1/3くらいで死んでしまうのだ。
 アレアレアレ?
 どこかで見たような・・・まるで黒澤明の「生きる」じゃないか!と思いながら、ああ、そうか視点が次々に変わっていくんだなと思っていると、突然、死んだはずの次女が涙を流しながら召使いに姉と妹をそれぞれ呼んでと言うところから、アレ、これってホラー?と一瞬思ったが、ま、そんなワケない。ない、ない。(笑)
 ベッドに横たわる死んだ次女が召使いに「お前には夢でも私には現実だ」と言うところで、ああ、これは召使いの夢なのかと合点がいく。
 まあ、こんな低脳みたいな話はさておいて、見終わって、この映画って何を描こうとしていたんだろう?と思ってしまう。
 三姉妹のそれぞれに対する愛憎確執は、肉親同士のもので、私もこの歳になればどこの家族にもある話だとそれほどショックでもないのだが、長女次女三女の性格分けが憎たらしいほどよく描き分けられている。
 一番母親に似ているのは、二役(?)をしている三女なのだろうが、・・・ああ、思い出してきた。
 これは、前にも見たよ。少なくとも途中まで。
 多分、途中で話がわからなくなって、投げ出したんだろう。
 召使いが次女に幼い娘にするように裸の胸を触らせるシーンは見た覚えがある。
 フェルメールかルーベンスの絵を見るような雰囲気だった。
 ま、それもどーでも良いのだが、最後のシーンはまるで太宰治の「人間失格」的視点の転換というか、カタルシス(心の浄化)を与えてくれるものだ。
 それでも、私は苦しみばかり多く幸少なかった次女が彼女なりにあまりにもささやかな癒やされる瞬間を持てたことに感謝している姿に涙を禁じ得なかった。
 叫びもささやきも斯くして沈黙に帰した、か。
 なるほど、人生とは、そのようなものか。セ・ラ・ヴィ。
 では。

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